敦煌の概要

 甘粛省の北西部、新疆ウイグル自治区と接する敦煌は人口14万ほどの街です。 周囲の砂漠の景色を見ていると自分がシルクロードを旅していることを実感させてくれます。 敦煌はシルクロードの交差点に位置したため多くの人が行き交い、ある種独特の歴史を造り上げてきました。 (前)漢の武帝が置いた河西回廊の4郡のうち最も西に位置し、漢代はここが国家の権力の及ぶ最西端でした。  今から100年前に莫高窟で第17窟(蔵経洞)が発見され、4世紀から11世紀の仏教経典や古文書などの文化財約5万点が出土し一躍脚光を浴び、20世紀における文化史上最大の発見とされ「砂漠の大画廊」と称され今も多く観光客を魅了しています。

敦煌の気候

温帯大陸性気候に属し、年平均降水量は39.9mm、年平均気温は9.3℃  一番暑い7月の月間最高気温平均は32.9℃、1月の月間最低気温平均は氷点下15.1℃です。  また、夏の日中の日差しは強いです。

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敦煌の歴史

紀元前2世紀に入るまでこの地を支配していたのは月氏でした。しかし、紀元前2世紀前半、匈奴の冒頓単于は月氏を討ち、 敦煌は匈奴の支配下にはいりました。(前)漢の武帝が即位すると、匈奴を押しのけ、紀元前111年、敦煌郡を置きました。 その後甘粛を漢が制圧すると、敦煌の西に防御拠点の玉門関と陽関が設置され、漢の西域経営の中心地となり、 西方からの汗血馬・ブドウ・ゴマなどの産物や仏教がこの地を通って漢に運ばれ、漢からは絹が西方へと運ばれました。漢にとっての 経済・軍事における重要な拠点となり、 豊かな土地と防衛拠点としての使命から厳しい政治を避け、税も物価も安く、住民は平和と豊かさを楽しんでいました。 しかし、この地の住民は漢政府により送り込まれた窮迫農民や犯罪者でありました。そのため敦煌の住民が漢の中心地へと帰ることは禁じられていました。 その後の魏晋南北朝時代には、中央から自立した西涼がこの地に首都を置きました。 これ以後は沙州(現在の敦煌市)・瓜州(現在の瓜州県)と呼ばれます。 西涼は北魏によって滅ぼされましたが、北魏においても西域に対する拠点として重要さは変わりませんでした。 魏晋南北朝時代は仏教が中国に布教した時代でもあり、敦煌では竺法護などの僧が西方よりやってくる経典の訳に励み、 布教に大きく貢献しました。また366年から楽ソンによって莫高窟の開削が始まりました。 唐代にも引き続き西域への玄関口として重要視されていましたが、安史の乱により唐政府の統制力が弱まり、781年に吐蕃の侵攻を受けて、以後はその支配下に入りました。 その後の70年は吐蕃の支配が続きましたが、唐と対立している吐蕃の支配下では交易が行うことができず、経済の動脈を絶たれた敦煌は一気に衰退しました。その後、漢人の張義潮が吐蕃に反乱を起こしてこの地に独立し、唐に帰順して帰義軍節度使に任じられました。 この頃には唐政府の権威は更に衰えており、実質的には独立勢力でした。 張義潮勢力の元で交易は再開されましたが、かつての盛況振りからすれば比べ物にならないほど衰えていました。 張氏のあとは、曹氏が帰義軍の勢力を引き継ぎました。 北宋代に入り、タングートが力をつけて西夏を建て、この地を占領しました。 敦煌文書が莫高窟の耳窟の中に放り込まれ、入口を塗り込められたのはこの時代と考えられています。 その後西夏がモンゴル帝国に滅ぼされ、引き続いて元の支配下に入りましたが、 この頃になると中国と西方を結ぶルートがシルクロードから南方の海の道へと移行し始め、この地の価値は下落し、寂れた街になりました。 その後長らく忘れ去られた町となり、莫高窟は見向きもされませんでしたが、 1900年、この地にいた道士・王円○(おうえんろく、○は竹冠に録)が偶然に莫高窟中の第16窟の壁の中に隠されていた耳窟 (第17窟, 後に「蔵経洞」と命名)から大量の文献を発見しました。 王円○も、報告を受けたこの地の地方官もこの文書の価値分らず、この文書はしばらくの間は放置されてしまいました。 1907年にその噂を聞きつけてやって来たイギリスのオーレル・スタインが王円○から数千点の文書・絵画を買い込んでイギリスへと持ち帰ってしまいました。 翌年にフランスのポール・ペリオが同じようにフランスへ持ち帰ってしまいました。 これを見た清政府は大慌てで敦煌文書を北京へと持ち帰りますが、 まだ残されていた文書を日本の大谷探検隊、アメリカ、ロシアの探検隊が前二者に比べれば少量ですが、やはり持ち帰りました。 莫高窟も中華人民共和国が成立すると保護を受けられるようになり、1987年に世界遺産に登録され、観光名所として栄えています。

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敦煌の観光スポット

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