カシュガルの概要

 カシュガル市は人口37万人で、タクラマカン砂漠の西端、パミール高原の北麓、新彊ウイグル自治区の西南部に位置します。 シルクロードはここで天山南路の北道と天山南路の南道が再び交わり、そしてここから パミールを越えてインドへ、あるいは、西北に路をとりタシケント・サマルカンドへと続きました。 カシュガルは中国と西方諸国を繋ぐ重要な交通の要所でした。
 カシュガルという地名は古代イラン語、ペルシャ語では「玉の市場」、ウイグル語では「カラフルな煉瓦で出来た家」という意味があります。  カシュガルはその地名からも、モスクから聞こえてくるアザーンの音からも、バザールの活気や行きかう人々からも  全てにおいて、自分がシルクロードにいることを実感させてくれる場所です。  長い旅の末カシュガルに辿り着いた時、本当に来てよかったと思える街です。

カシュガルの気候

カシュガルの気候は比較的に乾燥しています。 最も暑い7月の月間最高気温平均は32℃、最も寒い1月の月間最低気温平均は氷点下11度です。

カシュガルの歴史

 前漢の時代に初めて歴史に登場し、西域三十六国の一つであった白色人種国家の疏勒国の都でした。 その後、匈奴の支配下に入りましたが、後漢の時代、班超の活躍により西域都護府が設置されると一時的にその配下に入りました。 後に柔然や突厥など北方民族の間接支配下に入り、唐代に安西都護府が設置されると安西四鎮のひとつである疏勒都督府がおかれました。   9世紀以降にはモンゴルより大量のウイグル人が押し寄せて、ウイグルは土着の欧印語系民族と混血し、この地の言語はトルコ化(ウイグル化)しました。 その後のカシュガルの姿を決定的にしたのは、十世紀にカシュガルを都にしたカラ=ハーン朝の成立で、 トルコとイスラムの色彩を帯びるようになりました。カシュガルと呼ばれるようになったのもこの頃からだそうです。 その後、契丹、チャガタイ・ハン国、ヤルカンド・ハン国等に支配されました。 清朝が支配を確立するのは18世紀、乾隆皇帝のジュンガル派兵によってカシュガル直隷州が設置されました。 清末の混乱期にはコーカンド・ハン国から来たヤクブ・ベクがカシュガルを拠点に一時タリム盆地一帯を支配しましたが、左宗棠により討伐されました。 19世紀後半から20世紀にかけては、その重要な地理的な要因ゆえに、ロシア、イギリスの勢力争いの激突の場となりました。 両国がカシュガルに領事館を置き熾烈な情報戦が展開されました。 1933年には一年だけですが東トルキスタン・イスラム共和国がここに成立しました。 1952年カシュガル市が誕生し、1986年に対外開放都市になりました。

カシュガルの観光スポット

カシュガルの観光スポットをご覧ください。   

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