シルクロード旅行 天水市郊外 武山・甘谷編 2017/04/2-3


水簾洞景区岩と岩の狭間に作られた仏閣

 2009年に敦煌の莫高窟を訪ねて以来、「石窟」の魅力に惹きつけられている。石窟とは山の斜面の岩肌を掘削して部屋を作り、 中に仏像や壁画など、仏教に関する様々な彫刻を施したものだ。中には部屋を掘らずに直接岩肌に彫刻を施したものもある(こちらは「石刻」と呼ぶことが多い)。 仏教がインドからシルクロードを伝わって中国にもたらされて以来、各地にはこのような石窟が何百年にもわたり、いくつも造られた。 時代によってその彫刻の精巧さや作風も異なり、保存状態もよく、 現代までその完成度、規模を保ち続けているものの中には敦煌の莫高窟のように世界文化遺産に指定されているものもある。 石窟は仏教に関する歴史、文化を伝える役割があるだけでなく、自然の力を借りた芸術作品そのものであるとわたしは考えている。 シルクロードの各地には石窟がいくつも存在しており、日本で出版されているガイドブックには掲載されない石窟も数多い。 今回わたしは甘粛省天水市の郊外の県を訪れ、少し大げさだが日本人には「秘境」とも言える場所にある石窟を見にいくことにした。


4/2(日) 武山県

 

早朝4時56分の列車で天水市武山県へ

 広大な中国では都市と都市をつなぐ鉄道網が眠ることはない。午前4時過ぎの西安駅構内は列車を待つ人々で混雑している。 特に今日は清明節という祝日の3連休の初日ということもあり、故郷に帰る人が少なくないのだろう。 大きな風呂敷包みを抱えたおじさんや、キャリーケースを脇にスマートホンを眺める若者、乳飲み子を抱いた若い夫婦。 新幹線がまだなく、夜行列車が移動のメインだった当時の日本でも似たような風景が見られたことだろう。 やがてほぼ定刻通りに列車が到着し、切符に示された車両に向かい、自分の寝台にたどり着くと簡単に寝支度をし、すぐに横になった。
 列車はお昼頃武山に到着。西安から武山まで6時間弱ほどだ。 武山県の属する甘粛省天水市は甘粛省第二の都市で、甘粛省の省都蘭州と西安のちょうど中間に位置する。武山県はその天水市の最西端にある。 駅を出て正面に真っ直ぐ伸びる道路の向こうに大きな山がそびえているのが見える。 周りに大きな商業ビルやホテルなどといった建物は見当たらない。道路を行き交う車も少ない。田舎町にやってきたな、というのが実感できる。


麺にスープをかける担当のおばさん

 駅の正面の道をまっすぐ行くと左にバスターミナルがある。そこから洛門という町に移動する。 15分ほどである。洛門に到着するとちょうどお昼どきなので近くのお店で麺を食べることにした。 店の外に出されたテーブルに着席して数分ほどで麺ができあがる。 店内で打ち立ての麺が茹でられ、店の外でおばあさんが大きな寸胴からスープをすくって麺にかけるというスタイルだ。 透明よりも少し濁ったスープから湯気が立ち上っている。いい香りだ。刻まれた羊肉とネギと香菜(パクチーのこと。 中国のパクチーはタイ料理で味わうほどの香りは感じない)が添えられ完成。麺は素麺ほどの太さでモチモチした食感で、小麦のよい香りと味わいを堪能できる。

 

武山洛門の水簾洞石窟へ


水簾洞の山門

横からみた岩肌に描かれた壁画

水簾洞景区の岩山から細々と湧き水が流れる

 さて、腹ごしらえが済んだのはよいが実は肝心の目的地である「水簾洞石窟」がはっきりとわからないのだ。 しかし幸いにも食事をした店から少し離れたところに小さなバスターミナルがあるのを見つけ、そこの守衛のおじさんに聞いて見たところ実にていねいに教えてくれたので助かった。 こうして旅先で袖摺合う人々に助けてもらうことは少なくない。 バスターミナルを出て左に進み、大きな十字路を左に曲がってしばらく歩くと、なるほど「水帘洞」と表示されたバスが停車しているのを見つけた。
 バスに乗り込んで20分ほどで水簾洞石窟に到着し、入口を入ると専用カート乗場があった。入口から石窟のある地点までだいぶ距離があるらしい。 同じタイミングで入場した若者たちのグループはカートを使わずに徒歩で向かう様子だが、わたしはもう若者ではないので、別料金を支払い颯爽とカートに乗り込んだ。 水簾洞石窟は正確には「水簾洞景区」といって、拉捎寺、千仏洞、显聖池などの見どころがある。 天水には世界文化遺産にも指定されている麦積山石窟があり、これに次ぐ規模と文化的価値がある、と「水簾洞景区」を紹介する文章には書かれている。 創建は北周の時代、西暦599年。 水簾洞の名の由来は景区内にそびえる岩山にちなむ。頂上から細い滝が絶え間なく流れ落ち、それがスダレのように見えるからである。
 カートが走り出して7、8分で拉捎寺の近くまで到着した。奥に大きな壁画が見える。 垂直にせり立つ岸壁に、色彩も鮮やかに大仏と二人の従者の絵が描かれているのが遠目でもよくわかる。壮観である。 周囲には壁画の描かれた岩山と同じくらいの高さの岩山がいくつかあり、これらの山に登って壁画を上から俯瞰することもできる。 そびえる岩山と壁画を眺めているとよりいっそう雄大さが感じられてくる。 景区内にある他の観覧ポイントにそれぞれ訪れるためにはこの岩山を経由していく必要があるが、普段運動不足の身にはよい運動となる。 水簾洞や千仏洞は修繕中であるらしく、立ち入ることはできなかったのが残念。

バスで甘谷県まで移動する


甘谷の県城

 景区を出てバスが通りかかるのを待っていたがなかなかバスは来ず、仕方なく乗合タクシーに乗ることにした。白タクである。 洛門に戻り、バスターミナルで甘谷県行きのバスに乗り換えた。甘谷県の繁華街に宿をとっているのである。 小一時間で甘谷の県城に到着した(一般に県の市街のことを「県城」と呼ぶ)。 途中明日訪れる予定の華蓋寺や大像山石窟を通りかかり、期待に胸を膨らませる。


4/3(月) 甘谷県

三国志・諸葛孔明の後継者「姜維」の墓を訪ねる


姜維祠

姜維祠の裏山から

 翌朝バスで西へ30分ほど、姜家庄村という場所で降りる。「姜維祠」に向かう。周囲は一面畑でのどかでよい。 姜維祠は三国時代の武将「姜維」を祀った祠である。当地方はもともと魏の領土であったが、諸葛亮率いる蜀軍が北伐の際、姜維は蜀に投降した。 以来諸葛亮の信任厚く、諸葛亮の死後も蜀の軍事面の中枢として諸葛亮の遺志を継ぐべく、北伐の任に当たった。 小説「三国志演義」では諸葛亮が姜維の才にとくに惚れ込み、後継者として活躍する様子が描かれている。
 姜維が実際に亡くなったのは現在の四川省広元市剣閣県の辺りで、そこにも姜維の墓所がある。 ここ姜家庄村は姜維の出生地であり、彼が着ていた衣類などが納められているとされる。 姜維祠には姜維の像が祀られ、彼が活躍した戦でのエピソードの絵などが飾られており、決して大きくはないが手入れが行き届いている様子で感じのよいところだ。 裏手には桜が植わっておりちょうど満開の桜の花を楽しむことができた。祠の裏山に姜維墓の石碑があるのだが、赤土のぬかるみだらけで泣く泣く引き返すことにした。

華蓋寺と馬務寺


華盖寺

馬務寺

 再び甘谷県の県城に戻り、繁華街や市場を散策しながら次の目的地に向かうバス停を探した。 歩き続けて喉が渇いたのでローカルな雰囲気の漂うファーストフード店に入りマンゴージュースを注文したところ、出てきたジュースはびっくり仰天、 ホットマンゴージュースだった。熱い!
 しぶしぶホットマンゴージュースを飲み終え、近くのバス停から華蓋寺に向かう。 昨日武山から甘谷に向かうバスで通りかかった寺院だ。赤茶けた色をした山がさほど高さはないが長い距離に渡り続いている。 この山の表面の土は独特な模様を浮かび上がらせている。丹霞地形の一種のようだ。この山の中腹にはいくつかのお寺が点在しており、華蓋寺はそのひとつだ。 華蓋寺の看板がある場所でバスを降り、お寺に到着したが人気がない。不安だが立ち入らせてもらうことにして石窟に続く階段を登る。 しかし途中で門が施錠されており、そこから先には進めず、引き返した。 せっかくだからふもとの仏殿で手を合わせてから帰ることにして階段を降り仏殿に近づくと、脇に建っている小屋の窓からおばあさんがこちらを見ていた。 おばあさんに挨拶をして石窟を見せてもらえるかと尋ねたが、それはできないらしい。 煩わしそうに手を振って何か言っている。お年寄りの言葉は聞き取りづらいので難儀である。 仕方がないので仏殿に入って仏像に手を合わせ、いくらかの紙幣を賽銭箱に入れて華蓋寺を後にした。 バス通りに戻る途中、オートバイに乗った男性がこちらに向かってきた。男性はこのお寺の住職のようだ。 坊主頭で袈裟を着ているので間違いない。聞くと石窟は鍵がないので開けられないが、お金があれば開けられるかもしれないというようなことを住職はいっている。 どうもいよいよ話が難儀になってきたので、住職に手を合わせお礼を言って立ち去ることにした。 中国ではお金の交渉が付きものだが、今回は諦めることにした。トラブルの元になるような雰囲気がしたのだ。
 華蓋寺から甘谷寄りに1キロほどの場所に馬務寺というお寺があるのを見つけた。 事前の情報では入手していなかったが、このお寺にも石窟があるようで、立派な看板が出ていた。 お寺の規模も華蓋寺よりも大きいようだ。拝観しないわけにはいかない。 門前の綺麗に整備された階段を登り、門を入ると左建物のかたわらで犬が二匹じゃれあっているのが見えた。 と同時にわたしに気づいて二匹ともに勢いよくこちらに駆けてきたので、一目散に退散せざるを得なかった。ひとり旅はつらいね。

大像山大仏の前に腹ごしらえ


拌面。これが甘粛の味だ!

 犬が追って来なくなったのを確認して走るのをやめ、バス通りを歩き始めた。 しばらく歩いていたらバスが来たので手を挙げて、停車したバスに乗り込んだ。10分もせず街中に入り、右手に広場が見えてきた。 広場の奥の山の頂上付近に大仏が鎮座しているのが見える。 大像山大仏である。広場はかなり広く、奥の山までだいぶ距離があるが、それでも大仏が私たちを見下ろしている様子がよく確認できる。 広場も綺麗に整備されており、地元政府も大像山大仏の観光事業に注力していることが伺える。
 バスを降りて大仏に向かう前に昼食をとることにし、回族の食堂に入り拌面(バンミェン)を注文。 これは西安ではミートソースのようなものであるが、このお店の拌面は違った。新疆に行くと味わえるラグメンとほぼ同じものであった。 肉や野菜をトマトベースで炒めて麺にかけていただくもの。同じ名前なのに西に行くとより新疆テイストになってくるのが面白い。

大像山大仏


大像山大仏から甘谷の街を眺める

大像山大仏

 腹ごしらえを終え、早速大像山大仏に向かう。入口から大仏のある地点まで1.5キロほどの道のり。 大仏の造成は北魏(西暦386-577年)の時代とされるから歴史は古い。大仏に向かう間にも伏羲(中国の伝説上の皇帝「三皇五帝」の一人。 人々に狩猟の仕方を教えたり、「八卦」を発明したといわれる。甘粛の人とされる)を祀った廟や、 最近新しく造られたと思われる、仏教の様々な事柄をイメージさせる展示がされた洞窟がある。 中腹から山の裏手を見るとチベット仏教の白塔が遠くに見え、タルチョが風になびいていた。
 食後すぐに登山を始めたのは失敗だったが、なんとか大仏までたどり着いた。高さ23.3メートル、肩幅が9.5メートルの大仏である。 間近で大仏の大きさを目の当たりにするのも壮観だが、だいぶ高いところまで来たのでここから見下ろす甘谷の街がよい景色で爽快だ。 遠くを見ると街並みはやがて途切れ、うっすらと山々が確認できる。




甘谷駅から列車で西安へ戻る

 大像山大仏を後にして甘谷の鉄道駅に向かう。甘谷駅は武山の駅よりももっとこじんまりとした駅だ。 駅前ではカップ麺や果物を売っているおばさんたちが談笑している。 今回の旅では特に地元の名物を食べたりお土産を買ったりしていなかったので、せっかくだと思いひまわりの種を買って列車の中で食べることにした。 こじんまりとした駅舎からほぼ定刻通りに列車が到着し、天水郊外の田舎町に別れを告げた。 華盖寺や馬務寺の石窟を見れなかったのは残念だったが、水簾洞や大像山を訪れることができたのは貴重な体験となった。
 列車がスピードを上げてからしばらくして、買っておいた種を食べようと思いパッケージ何気なく見ると、 そこには「産地:西安」と書かれていたのであった。(終わり)


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