西安/シルクロードニュース37

求む試飲者!? 項羽と劉邦の時代から蘇った古酒は「2000年モノ」

 はたしてどんな味わいなのか──。 中国河南省の古都・洛陽市で11月6日、古代の遺跡を発掘中に、青銅製の壺から「酒」が発見された。 完全に密封された古酒が発見されるのは極めて珍しく、研究者はどう試飲したものか思案中という。
 「新京報」によると発掘地点は洛陽駅から約500m東に位置し、不動産デベロッパー大手の保利房地産集団が進める大規模再開発エリアの建設現場。 9月末に前漢(紀元前206年〜西暦8年)中〜後期の大規模墓群が発見され、考古学者が発掘調査を進めていた。
 どのくらい昔の遺跡なのか。前漢はざっと2000年前の統一王朝で、項羽と劉邦が覇権を争い、項羽を征した劉邦が打ち立てた。 日本はまだ弥生時代で、国宝の金印「漢委奴国王印」が大陸から伝来するのも、もう少し後(後漢)のことだ。
 洛陽市文物考古研究院の発掘責任者・潘付生によると、墓群は200〜300基がまとまった大規模なもので、ある大型墓の奥室から青銅製の壺がふたつ見つかった。 このうちひとつの中身は空だったが、もうひとつの壺は、容量3500ml、重さ約7kgの液体で満たされていることがわかった。
 当初は地下水や雨水の混入が疑われたが、壺を確認すると完全に密閉されていた。 洛陽は比較的乾燥した気候ではあるものの、どのような技術を駆使して蒸発を防いだのかは調査中という。
 潘によると、琥珀色がかった透明の液体はわずかにとろみを帯び、2000年前に醸造された「糧食酒」の可能性が高いらしい。 糧食酒は米や麦を原材料とする穀物酒の総称で、古代は祭祀で重要な役割を果たした。醸造直後に容器へ入れて密閉し、飲む直前に開封するならわしだったという。
 「味はどうか」との記者の問いに対し潘は、「飲めることは飲める。 ただ2000年もの間、青銅にさらされていたため、錆びなどの金属成分が溶け出しているのは間違いない。 飲めば必ず腹を壊す」と話し、当面は味見をせず成分分析などの研究にとどめると述べた。
 中国の酒づくりは約8000年前の新石器時代に始まったとされるが、古代の酒そのものが発掘されるのは稀少。 「茅台酒」や「五浪液」といった現代の穀物蒸留酒「白酒(バイジウ)」も、完全密封した高級品の賞味期限はせいぜい50年という。
 酒が発見された墓の主は「耿」姓の豪族一家で、当主は県令や郡守などの地方長官を務めた貴族とみられる。 奇跡的に盗掘を免れたため100点以上の副葬品が見つかっており、雁をかたどった銅製の照明器具「大雁灯」や精緻な紋様の「銅鏡」、 玉(ぎょく)をタイル状にして組み合わせた死装束「金縷玉衣」など「国宝級の文化財がザックザクで興奮を隠しきれない」(潘)。
 都市化が急激に進む中国でも、開発と遺跡保存の両立は悩ましい問題だ。 しかも2000年古酒の発見現場は洛陽市肝いりの再開発地区。12万平方mの敷地で、一気に27階建て高層住宅23棟、11階建て2棟、幼稚園2ヵ所を建設中だ。 このため洛陽市文物考古研究院は耿家の大型墓について、調査が完了し次第、そっくり移設・復原して展示する方向を検討している。

中国ではごく稀に、古代の墓から液体が発見されることがある。

 「西安晩報」は2010年11月、陝西省咸陽市で西安咸陽国際空港の拡張工事現場から、密閉された銅製の鼎(かなえ、三本足の容器)が見つかったと報道。 中身は何と、鶏がらスープだった。
 現場は約2400年前の戦国時代(紀元前403年〜紀元前221年)の墓の跡。 陝西省考古研究院の調査で、スープは腐食した鼎の銅成分が溶けて緑色に混濁していたが、底には鶏とみられる鳥類の骨が10片ほど沈んでいた。 古代の文献には鼎で鶏肉を煮た記載があることから、液体は鶏がらスープとみて間違いないという。

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