チャルクリクの紹介

チャルクリク市街の様子

【チャルクリクの概要】
チャルクリクは西域南路と青海省や甘粛省を結ぶオアシスであり、中国語では 「従順な羌族」、ウイグル語では「紡ぎ車」 という意味を持ちます。人口は3万人ほどの西域南路の小さなオアシス都市です。 米蘭古城や楼蘭へ行く際の中継点の役割を果たしています。
かつてチャルクリクは楼蘭国の支配を受けていました。

米蘭(ミーラン)古城

ミーラン古城の夕陽

 チャルクリクより東へ90Kmほどにある米蘭古城は1907年、イギリスの探検家スタインによって発見されました。 この遺跡は大きく、仏教寺院として、また城郭としての性質も持ちます。 仏教遺跡として注目され始めたのは、1989年に有翼天使像という壁画が発見されてからです。中国ではまだ他に発見されていません。 これは、楼蘭国最盛期の3〜4世紀の作品と考えられています。
 また、城郭として栄えたのは唐代末にチベット系の吐蕃によって支配されていた時期と考えられています。 城壁の周囲は308mで現在でも物見台や門の跡が残ります。

楼蘭博物館

ローラン博物館

 2011年、チャルクリクの中心部にオープンした楼蘭博物館。13000平米を超える敷地に、約4700平米の 建築面積を持つ近代的でありながら伝統も感じさせる外観の博物館です。主に楼蘭古城、米蘭(ミーラン)古城、小河墓地などの歴史的文物を展示しています。核心は楼蘭古城の三間室や楼蘭古城の模型で、 現在行くことが出来なくなった楼蘭への理解を深める展示物も多いです。その他、チャルクリクの特産であるナツメに関する展示室もあります。

楼蘭古城

秘境、ローラン遺跡

 1900年、スウエーデンの探検家ヘディンによって発見された楼蘭国の都クロイナの城跡です。  楼蘭はシルクロードの西域南道と西域北道の交差点として栄えた国で、最盛期には東西の物資や文化が行き交い相当な賑わいを見せたと言われています。  445年、北魏によって滅ぼされ、その後ロブノールの移動とともに砂の中に埋もれ、630年以降は  忘れ去られた街となってしまいました。正方形の形をした城壁は1300mほどあり、その中には  水路や住居跡が残っています。また周囲には仏塔や烽火台も古墳群が確認できます。  1927年、その古墳群から若い女性のミイラが発見されました。現在そのミイラはウルムチの自治区博物館に展示されています。なお、楼蘭古城は今後一般人の入域許可は取得不可となり、立ち入りは出来ないことになりました。

ロブ・ノール

秘境、ローラン遺跡

 ロブ・ノールは海抜780、面積約3000平方キロメートル、チャルクリク県東北部タリム盆地東部に位置する古代シルクロード、西域の重要な湖でしたが、 1972年、水が枯渇してしまいました。現在その湖が干上がった所には、胡楊や羅布麻、甘草なども生えています。

阿爾金山自然保護区

秘境、ローラン遺跡

 チャルクリク県内、青海省とチベットの堺にある阿爾金山自然保護区は中国4大無人区の一つで、面積は45000平方キロメートル、なんと中国国土の4,7%を占める広大な自然保護区です。 平均海抜は4600mで、54座の6000mを超える高峰があります。保護区内には、チベットカモシカ9万頭、チベットノロバ3万頭、ヤク1万頭をはじめ204種の高山動物、386種の高山植物が生息します。 雪山、氷河、草原、湖、沙漠、湿地、渓谷すべての美しい景色を見ることが出来ます。しかし、阿爾金山自然保護区に行くには許可証が必要で、外国人が取得するのは非常に困難となっています。

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