宝鶏は陝西省第二の都市で、その歴史は古く黄河文明発祥の地の一つとして栄えてきました。 そんな宝鶏には、三国志で有名な諸葛亮ゆかりの五丈原や曹操や諸葛亮が通って戦場へ向かった古大散関をはじめ、周代の史跡 釣魚台など数多くの 歴史的観光スポットが有ります。また、宝鶏の山中には希少生物で有る金絲猴やパンダも生息し自然が豊かな土地です。
宝鳥市街を一望できる高台北坡森林公園に位置する道観です。元朝末期に創建されました。観は大きく分けて、 中院、東西偏院の三つに分けられます。玉皇閣、呂祖殿、聖母殿、三清殿、慈航殿、八卦亭、聖母洞、三豊洞、薬王洞、朝陽洞 などの道教の重要古跡があります。金台観、銀台観、玉台観と並び宝鶏三大道教宮観の一つです。
漢民族の祖先と言われる伝説上の炎帝の陵墓です。 炎帝は人々の農業を教えたために神農氏とも言われていますが、実在は確認されていません。 しかし、宝鶏の炎帝陵は漢民族の聖地とされ、毎日多くの中国人が訪れています。
炎帝が生まれ育ったとされているところです。 炎帝は中国を造ったと言われている三皇五帝の内の三皇の一人に数えられています。
三国志で有名な五丈原にあります。蜀を率いていた諸葛亮はこの地で5度に渡って魏と戦ったいました。
しかし彼は大志を果たすことなくここで病死しました。彼の功績を讃えるため元代初頭、ここに廟が建てられました。
殷代に姜太公がここで毎日釣りをしていたと伝えられていることから、 「釣魚台」と名づけられました。 姜太公は殷の王に仕えていましたが、次第に暴君化したために辞職してここで釣りをしていました。 10年後、周の文王に迎えられた彼は周の建国につくしました。
昔から交通の要所だったところで、項羽と劉邦はここで戦い、三国志時代には曹操や諸葛亮はここを通り戦場に向かい、宋将が南下する金軍を破りました。
始皇帝の中国統一以前、BC677年の春秋時代から戦国時代にかけて約300年間、秦国の 政治、経済、軍事、文化の中心であった場所です。秦の中国統一の土台が築かれた場所です。
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