敦煌の観光スポット紹介

敦煌鳴沙山の風景

周囲を砂漠に囲まれたオアシス都市である敦煌は古来よりシルクロードの交差点として栄えてきました。 漢代には武帝により河西回廊四郡が置かれ、その最西端の郡として西域との軍事拠点となりました。唐代の詩人王維には「西陽関を出れば故人なからん」と詠われ、 当時敦煌を出ると既に国家権力が及ばない地域であったことが分ります。そんな敦煌には今も大変多くの旅行者が足を止め 「砂漠の大画廊」と称される莫高窟、シルクロードの雰囲気たっぷりの鳴沙山や、郊外のかつての西域との境であった陽関、玉門関などを観光し かつてのシルクロードのロマンに思いを寄せています。4

鳴沙山 月牙泉 莫高窟 西千仏洞
敦煌市博物館 沙州故城 白馬塔 敦煌電影城
玉門関 河倉城 漢代長城
陽関 ヤルダン地質公園 楡林窟 鎖陽城

鳴沙山

敦煌郊外の約5Km にある砂漠で、これぞシルクロードという景色が広がります。 昔は神沙山と呼ばれていましたが、風が吹くと音がするということから鳴沙山と呼ばれるようになりました。 「史記」には音楽を奏でているようとも記載されています。
この鳴沙山は全て砂が堆積してでき、東西は40km、南北は50kmにもなります。砂山の最高峰は250mに達します。 莫高屈と並び敦煌観光の定番スポットですが、夏は日差しが強すぎるため、日中は避け夕方以降に行くことをお勧めします。

月牙泉

鳴沙山から見る月牙泉

鳴沙山にある泉です。 月牙とは中国語で三日月の意味で、文字通り三日月の形をした湖です。広大な砂漠の中に沸いている泉は、 何か神秘的な雰囲気があります。

莫高窟

敦煌観光のメインスポットです。鳴沙山の東側の絶壁に築かれた石窟群です。 366年に楽樽という僧によって開削されました。 現存する窟は全部で492窟で、その内最古のものは第268、272、275窟の北涼窟(5世紀初頭)です。
 敦煌は漢族の他、チベット、モンゴル族にも支配されましたが、どの時代( 五胡十六国9、北魏23、西魏2、隋97、唐225、五代34、宋70、西夏25、元7)も開削は続けられ、 各時代による特徴が見て取れます。

※より詳しくはこちらを御覧下さい。

西千仏洞

莫高窟の西にあることからこの名前が付けられました。莫高窟の「姉妹石窟」として知られています。 2.5Kmにわたり、西方千仏洞は 正確な創建年代は不明で、北魏時代の窟1つ、西魏時代の窟1つ、北周時代の窟4つ、 隋代の窟3つ、唐代前期・盛期の窟3つ、唐代中期の窟1つ、唐代後期の窟3つ、五代の窟1つ、ウイグル王国時代の窟1つ、元時代の窟1つ、そして年代不明の窟2つから構成されています。 4体の彩色彫刻と800平方メートルを超える壁画が残ります。

敦煌市博物館

敦煌観光スポット、敦煌博物館外観

敦煌博物館は3つの部分に分かれています。第1部では莫高窟蔵経洞(第17窟)の文献を中心に展示しています。 第2部では漢、三国、晋、隋、唐の墓から出土した出土品を中心に、第3部では絹織物、絹織物、紗などの遺物を展示し、「シルクロード」に関する豊富な物的証拠と資料を提供しています。 歴史文物展室は二つあり、1つは原始社会から清朝末期まで、2,000点を超える貴重な文化財が展示されています。 もう1つは「漢代万里の長城」展は、敦煌にある漢代万里の長城遺跡に焦点を当て、出土した漢代竹簡、麻紙、大麦、キビ、烽火塔で使用された大小の松明、漢代万里の長城遺跡の模型などが展示しています。

沙州故城

敦煌観光スポット、沙州故城

現在の敦煌の街は清代にできたもので、それ以前の歴史で有名な敦煌の街はこの敦煌故城のことです。 古代よりシルクロードの要衝として栄えていた場所です。 城内には白馬塔もあります。

白馬塔

敦煌観光スポット、鳩磨羅什ゆかりの白馬塔

クチャ出身の鳩摩羅什が敦煌を訪れた際、持ち馬が死んだために人々が馬を埋葬した場所です。 沙州古城(白馬塔村)の東隅に位置し、現存する建物は道光帝24年(1844年)に再建されたものである。塔の高さは12メートル、直径は7メートルで、9層の造りとなっています。 384年、鳩摩羅什が敦煌に到着した際、白馬がて亡くなりました。信者たちはその白馬を埋葬し、塔を建立しました。塔の9層は、白馬の9歳を象徴しています。

敦煌電影城

日本でもおなじみ、1989年、西田敏行主演の映画【敦煌】の撮影の際に使用された映画のセットが残る場所です。 昔の敦煌の町並みや莫高窟のセットが残されています。

玉門関

漢代の敦煌からカシュガル方面へ向かう「西域南道」への関所跡で、 ここから先に行くことが、本当に西域に足を踏み入れるということでした。 前漢の時代、玉門関は陽関から分離されました。玉門関は軍事的な通過路、陽関は外交使節の通過路でした。 後漢の班超と張騫は西域への使節としてここを通過しました。 敦煌市から約90キロ、ロプノールから西に約150キロ離れている。周囲はゴビ砂漠、砂漠、草原が広がっています。 この重要な関所であった玉門関は、同時に軍事拠点として2万人もの兵が駐屯していたこともあるそうです。 今は朽ち果てていますが、それがかえってシルクロードのロマンを感じさせてくれます。

河倉城

敦煌観光スポット、兵士の食料倉庫だった河倉城

玉門関から西へ20Kmほど。かつては西域との最前線で戦う兵士の食糧庫として使用されていました。 非常に目立たない場所にあり、直接近づかない限り、この城を見つけるのは困難であることから、この場所を軍の補給基地として選んだことに、相当の思慮と綿密な計画が込められていたことを物語っています。

漢代長城

漢代に築かれた万里の長城の一部です。西漢時代に初めて築造され、東は永登から敦煌西湖の馬迷土まで伸びていました。    匈奴の侵略を防ぎ、シルクロードの交通を確保するために建設されました。 現在その大部分は風化してしまっていますが、 現存のものは、碱墩子より馬迷土の幹線と、玉門関から陽関、陽関から当河口、馬迷土から弯腰墩の支線となります。 玉門関付近では比較的状態の良いものを見学することが出来ます。

陽関

敦煌観光スポット、唐代の関所跡陽関

玉門関と並び漢代の重要な関所跡です。武帝によって造られたこの関所は唐代まで経営されました。  中国では南を陽と表すことがあり、玉門関の南にあるということから、この名前が付きました。
 唐代の詩人王維が「安西都護府」(現ウイグル)へ帝の使者として旅立つ友人に送った、「西、陽関を出れば故人わからん」と詠われた詩は有名です。 現在の陽関は唐代の烽火台が残るだけですが、何もないその景色をの中で、かつてシルクロードを行き来した旅人の気持ちを思わずにはいられません。

ヤルダン地質公園

敦煌郊外のヤルダン地質公園

玉門関から85Km程の所にある奇岩群です。 面積は398平方キロメートルで、東西約25キロメートル、南北約18キロメートルに及びます。 近年映画[英雄-HERO-]のロケ地になり有名になりました。

楡林窟

敦煌から車で約2時間半、楡林河の両岸にある大規模な仏教石窟です。 唐から宋の時代にかけて開掘された 石窟は東壁に約30窟、西壁に11窟が現存し、うち29窟に壁画があります。 25窟の普賢菩薩は唐代の壁画の傑作とも言われ、西夏時代に開削された2窟、29窟、34窟はその時代の研究の大事な資料になっています。

鎖陽城

鎖陽城の夕陽

2014年、世界遺産「シルクロード:長安天山回廊の道路網」に登録されました。 シルクロードの重要な政治、軍事、経済、文化の中心地であり、酒泉(蘇州)と敦煌(沙州)の間に位置し、 瓜州のゴビ灘にある、唐代の城跡です。唐代の城壁構造が残っている貴重な遺跡です。 内城と外城に分けられ、外城の面積は80万平方メートル、内城の面積は28万平方メートルに及びます。 唐代の名称薛仁貴がここで鎖陽を食べて飢えをしのいだことから、鎖陽城と呼ばれます。 朽ち果てた仏塔は歴史のロマンを感じさせます。

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