延安は中国陝西省北部(陝北地区)の中心都市として人口210万人を数える地級都市です。
延安がなぜそんなに有名かと言うと、中国革命の一大イベントであった長征の終着地であり、
毛沢東が延安の石窟に拠って抗日戦線の指揮を取ったことであり、
またこれら事跡によって革命の聖地とされていることです。
.尚毛沢東は共産党勢力の拡大と自身の権力基盤の構築に熱心であり、
1936年6月に毛沢東率いる中国工農紅軍陝甘支隊が延安に入った後、1930年代から1940年代にかけて抗日軍政大学、
魯迅芸術学院、延安大学など思想面の強化も含めて根拠地建設が進みました。
共産党はこの地で「整風運動」と呼ばれる思想統制運動を行いました。
大陸性気候で四季がはっきりしています。西安に比べると気温は低目です。
春秋時代には白狄と呼ばれる放牧を主な生業としていた少数民族の支配地域となり、晋の重耳が流浪して現在の延安の地にたどり着いたといいます。
戦国時代に入ると秦と魏の抗争の場となり、一帯を領有した秦は高奴県を設置しました。ほぼ現在の延安市に位置するといわれています。
秦による統一後も、咸陽あるいは長安の北辺の防衛拠点として重要な位置にあり、引き続き高奴県が設置されています。
漢代にも引き続き高奴県は設置されており、漢書地理誌には『高奴県有○(さんずいに有)水、肥可燃』とあります。これが中国の史書における石油の記述の初出であるとされています。
その後、6世紀西魏廃帝の代に延州が設置され、これ以降は高奴県の名称は消ました。
隋代に延州が延安と改称され、県から郡に改変されました。これより後、この地は延安と呼ばれることになります。
延安の観光スポットをご覧ください。
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