古くから天山南路最大のオアシス亀茲国(きじこく)としての地位を確立していたクチャは東西貿易の中継地として繁栄していました。
そのため、東西の文化交流が盛んに行われ、仏教とイスラム教が共存した場所です。
鳩摩羅什の出身地でもあり郊外には今も貴重な仏教石窟などが点在します。そんなクチャには三蔵法師が滞在したスバシ古城や
新疆で2番目に大きなモスク、クチャ大寺、ギジル千仏洞やクムトラ千仏洞など多くの観光スポットがあります。
新疆の中でカシュガルのエイティガール寺院に次ぐ規模のモスクです。 アーチの高さは18.3mで青レンガで造られています。16世紀に新彊イスラム 教依禅派の始祖イスハク・アリによって創建されました。 裏手には厳格な宗教裁判所があります。
唐代に設置された安西都護府跡ですが、当時の面影を残すものはあまりありません。
14世紀にクチャにイスラム教の伝導のために来たエシディンの眠る墓です。 チェコ人だと言われています。 チャガタイ・ハン国の都アルマリクで14万のモンゴル軍兵士をイスラムに改宗させたと言われています。
2000年余りの歴史を持つこの烽火台は保存状態も良いです。残っている高さは今尚16mあり、東西に6m、南北に4.5m広がる。上部には物見やぐらが建てられています。 漢代、班超の活躍で西域を平定した後、クチャには安西都護府が置かれ、周辺には異民族との戦いに備えて多くの烽火台が建てられました。 これはその烽火台の中でも最古かつ最大のものであると言われています。
玄奘三蔵が2ヶ月間滞在し、後に「大唐西域記」に記した アーシュチェリア大寺だと言われています。 唐代の亀慈国で1番大きかったとされる寺院です。 クチャ河が流れ、そのクチャ河を挟んで、東西ふたつの寺が向かい合って建てられています。 塔、楼、僧坊、仏洞等の遺跡が残り、仏洞の中には、壁画や亀慈文字の題記が残されています。
ムザル河の北岸に 3世紀から8世紀末(最盛期は5〜7世紀)頃まで開削された亀慈国の貴重な仏教遺跡です。青色を基調としている石窟が多いことから。「青の石窟」とも呼ばれています。 全部で236窟あり、そのほとんどは破壊されてしまっており、 壁画が残っているのは75窟ほどです。第8窟の伎楽天画や48窟の飛天画などが有名です。
渭干河東岸の断崖に5世紀から11世紀ごろに蜂の巣のように彫られた全部で112窟ある石窟です。 石窟は南区と北区に分けられ、南区には32窟、北区には80窟あります。その内壁画が残るものは40窟弱で、見学可能なのは全部で20ほどです。
玄奘がインドに向かう際に通行した塩水渓谷の岸壁に全部で、46窟ある石窟郡です。窟の損傷は激しく、 見学可能なのは6窟のみとなっております。
センムサイム石窟はクチャの東北約40Kmの場所にあります。残念ながら石窟の大部分は破損されていまが現在、52個の窟が修復されています。 3世紀頃に開削されました。大部分は南北朝時代のものです。
センムサイム石窟はクチャの東北約30Kmの場所にあります。クチャの石窟群の中で最も破損が進んだ石窟です。 全部で44窟ありその中の24号窟、42号窟、141窟は既に全壊し5つほどの窟が何とか見学可能です。
亀茲石窟時代最盛期に開削された石窟です。22窟が確認され、 仏教故事を題材にしたものが多いです。
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