兵馬俑観光前の予習

秦始皇帝兵馬俑博物館

秦の始皇帝がもっていた権力の強さが垣間見られる博物館。秦始皇陵から東1.5qの地で、約6000体にもおよぶ陶俑・陶馬の縦隊が発見された後、さらに2つの傭坑が見つかったことから博物館として公開されている。なかでも、始皇帝の陵墓を守るために作られたという平均身長180pもの兵馬俑が整然と並ぶ一号坑は必見。秦代の男性の平均身長は155p程度といわれており、当時の軍隊の強さを誇示するため、大きめに作られていたとされる。兵馬俑とは、兵士と馬を模した等身大の埴輪のような人形で、殉死者の代わりに埋葬されていた。

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兵馬俑を知る3つのポイント

1、始皇帝の絶対な権力の象徴
兵馬俑を作らせた秦の始皇帝は、BC221年史上初めて中国を統一した人物。中央集権の国造りを進めると共に「皇帝」という称号を初めて用い、1911年まで続く君主独裁の皇帝制度を確立した。万里の長城や兵馬俑はその絶大な権力によって生まれたものだ。

2、現実の軍隊を模した壮大な地下軍団
兵馬俑は、発掘された内容から、一号坑が歩兵中心の右軍、二号坑が騎馬軍や戦車隊が中心の左軍、三号坑が軍司令部と考えられている(四号坑は中軍と考えられるが秦末の混乱で完成しなかった)。俑は実物のように精巧で、秦以後の時代も含め実物大規模の兵馬俑はこの始皇帝のものだけだ。

3、始皇帝陵との位置関係
兵馬俑は始皇帝陵の東1.5qに位置し、その軍団は始皇帝陵を背にして東向きに並べられている。秦から見て東とは、ライバルであった戦国の六国(韓、魏、趙、燕、斉、楚)が存在した方角。兵馬俑には死後も始皇帝を守るという意味が託されていた。

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兵馬俑の顔に見る秦帝国の広がり

兵馬俑の顔の特徴を巡って幾つかの解釈がある。例えば、その特徴を大きく3つに分け、純朴そうで顔がふっくらしているのが関中(陝西省南部)出身、丸顔で下顎の尖ったのが巴蜀(四川省)出身、頬骨が高く精悍な体型が隴東(甘粛省東部)出身とする袁仲一氏の見解。或いは、西方顔と東方顔の大きく2つに分ける見解など。また、秦の文官のトップである丞相には、東方出身の呂不韋の他、南方の楚出身の昌平君や李斯、北方の趙出身の馮去疾や趙高などが抜擢されており、兵馬俑の顔の特徴と共に秦という帝国の全国的な広がりを物語っている。

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兵馬俑博物館の歴史

兵馬俑の発見は1974年。干魃の続く当地の農民が井戸を掘り起こそうとした際、兵馬俑の一部分が偶然に発見された。これが後の一号坑の一部で、直ちに関係機関による大規模な発掘調査が行われた。その後、二号坑、三号坑、四号坑と発掘は続き、2000年には始皇帝の六号坑から8体の文官俑が、同年夏には始皇帝陵の東北部で、青銅製の鶴、白鳥、雁などが配された七号坑(水鳥坑)が発見された。始皇帝時代の一次史料として学術的な価値も高く、現在も更なる発掘が続けられている。博物館自体は1979年に開設され、現在公開されているのは一号、二号、三号の各坑と出土した文物を展示する文物展示館。1987年には始皇帝陵と共に世界遺産に登録された。

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各坑の特徴

【一号坑】右軍
1974年に発掘された最初の坑で、規模は最大。約6000体の兵馬俑がある。軍の中では右軍に当たり、交互に並んだ歩兵と騎兵が長方形の方陣を組む主力部隊と考えられる。兵馬俑の身長は平均180p前後、一体ごとに表情が異なり、冠、鬢、鎧などその造りは細部まで実に精巧。

【二号坑】左軍
左軍に当たる歩兵、騎兵、弓兵、戦車などの混成部隊。左側前方に弓隊が、その後ろに歩兵と騎兵が、右側の中央部に戦車隊が配された複雑な陣形を組む。突撃部隊や先方部隊を兼ねた主力軍の一つと考えられる。兵馬俑の数は2000を超え、弓兵の複雑な動きを表現した俑が特徴だ。

【三号坑】軍幕
規模が最小だが、高い身分を示す長冠や軍議の場などが発掘され、位置も軍全体の最後部にあることから、三軍を統率する司令部(幕)と考えられる。俑は68体、騎馬4体、戦車1台のみ。兵馬俑は坑の壁に沿って内向きに立ち、儀式用の武器である「殳」を持っていたと推定されている。

【四号坑】中軍
左軍、右軍に続く主力軍の一つ、中軍であったと考えられるが、兵馬俑は一つも発見されていない。秦末に起きた農民反乱、陳勝・呉広の乱などの混乱で完成しなかったとの説が有力。

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秦の始皇帝と兵馬俑

秦は農業を発展させ、国の経済を豊かにすると、軍事力を強化しました。その巨大な軍事力を背景に、斎、楚、魏、燕、韓、趙の六カ国を滅亡させ、とうとう中国全土を統一したのです。始皇帝は紀元前221年、自ら皇帝になると郡県制を施行して中央集権化を図りました。その後、焚書坑儒による思想統制や度量衡、文字、貨幣の統一、万里の長城の増改築などを行いました。 始皇帝は文武両道で世を治めることを推し進めると共に、自ら庶民生活を視察するため、幾度に渡り全国各地を巡行しました。紀元前210年、最後の巡行中に亡くなり、今の陝西省潼県に埋葬されました。ちょうど50歳の時でした。 秦の始皇帝は生前、不老不死のために神仙道や医方術を求める一方、実は「人間はいつか死ぬ」という自然の法則も知っていました。そこで、自らの為に陵の建造に着手しました。それが驪山の北麓にある始皇帝陵墓です。陵の前は川に面し、後ろに山を背負い、風水学から言えばとても良い所です。陵は内城と外城に分かれていますが、現在、地上の建築物は跡形もありません。陵墓が完成した当時、高さ120メートル、周囲の長さは2167メートルあったと言われています。2000もの間、風雨にさらされた結果、現在の陵の高さは76メートル、周囲の長さは約2千メートルとなっています。この陵墓作りは、着工から完成まで、37年もの歳月がかかりました。 始皇帝の陵墓は大きな高い山のように見え、その外形全体は四方円錐状の上部をカットしたような形をしています。陵墓の上部は平たく、中央には踊り場のような段差があります。始皇帝の陵墓を中心とした周囲からは、現在までに様々な遺跡や文物が発見されました。また、殉葬坑、殉葬墓や陵墓を作っている職人のお墓なども、数多く発見されています。まるで陵墓全体が、地下に眠っている大きな歴史博物館のようです。そのうち、最も重大な発見が兵馬俑坑、銅車馬坑などです。 1974年、中国の考古学者たちは始皇帝の陵墓から東側へ1.5キロ離れた所で、大型の兵馬俑坑を三ヶ所発掘しました。その総面積は2万平方メートルにものぼり、陶俑と陶馬が8000体近くもあり、木造の戦車が100あまり、青銅製の兵器も40000件発見されました。そお見事な戦陣の構えに人々は驚嘆しました。さらに、感心させられた事は、出土した兵士の身長が実物と同じぐらいで、同じ顔をしているものが一つもないことです。それにより、秦の軍隊がさまざまな民族の混成部隊だったことも分かりました。兵馬俑は、かつて秦の敵国が存在した東方を向いて置かれていました。2千年ぶりに日の光を浴び、何も応えず、じっと立っている彼らと遭遇した人々は驚くしかありませんでした。この発掘により、それまでは文献資料でしか伝えられていなかった秦軍の装備や編成をはっきり知ることができました。 兵馬俑の完成度は高く、一体ずつの表情や髪型が異なり、そのうえ指先や靴の底まで繊細に作られています。馬のたてがみや尾までもリアルに再現されているのを目の当たりにすると、当時千人以上いたといわれる職人のこだわりを感じます。とても紀元前に作られたとは思えない美しさと力強さにあふれています。2 千年以上前に造営された広大な地下宮殿、2千年以上眠りについていた膨大な地下軍団、それらがつい最近発見されたという事に、中国の歴史の深さや驚きがあり、ロマンを感じさせます。そして、これらの精緻を極めた芸術品をみれば、古代中国における彫塑技術の高さが分かります。彫塑技術は、秦の時代にはすでに成熟していたことが理解できます。 兵馬俑の発見は、中国国内だけではなく世界からも注目を集めており、「世界の八大奇観」や「20世紀最大の考古学的発見」と賞賛されています。秦の始皇帝および兵馬俑坑は1987年に「ユネスコ世界の文化遺産」に登録されました。兵馬俑にはまだまだ大量の未発掘部分があり、未知の部分があります。21世紀に入った現在でも、この膨大な文化財群の調査、研究は続けられています。しかし、光に当たると同時に土偶の表面に塗られた色彩が消えてしまうという理由から、発掘は控えられています。

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