【世界遺産 シルクロード】天水麦積山石窟と仙人崖など

元日に天水観光

 駅前で腹ごしらえ
 夜行列車で天水駅に到着したのは午前7時過ぎ。 まだ夜が明ける様子はない。空腹を満たすために駅前の食堂で牛肉麺をすする。
店内はほぼ満席で、暖房の効きが悪いためにどのテーブルの碗からも湯気が立ち昇っている。
あっさりとしているが味わい深いスープ。ほんのりと黄色がかった麺。具は大根の薄切り、ネギとニンニクの芽のみじん切り。
そして干した牛肉のコマ切れ。うまい。温まる。甘粛省を訪れたなら必ず味わうべき一品だ。
 今日は2016年1月1日。元日だ。旧正月に新年を盛大に祝う中国では、元日は祝日に指定されているものの、日本のように盛大に祝う習慣はない。 あくまで他にもある祝日のなかのひとつに過ぎない。 日本人である自分はなんとなく奇妙な気分で、最初の目的地である麦積山石窟に向かう車中から初日の出を眺めていた。


麦積山石窟


【岸壁の歩道から下を見下ろすのは怖い】

 風景区の中にも住居が
 天水駅から車で一時間弱で麦積山風景区に到着。ここは石窟の見学以外にも家族でハイキングなど楽しめるよう、 麦積山及びその周辺が整備されている。朝一番の受付と同時に入場。風景区の入場門から石窟まで3キロほどの道のりで、 カートが運行されているはずだが、入場券の販売員以外に人気はない。もう少し時間が経ってからでないとカートの運行は始まらないようだ。 一番乗りだからといって良いことばかりではないのだ。構わずに山道を登り始める。 途中、観光客らしからぬ人たちを見かけたが、それもそのはず、山あいに小さな集落があった。 観光施設の内側にそれとは無関係な人々の居住環境があるのは面白い。 このようなアバウトさはまさに中国ならではだ。30分程登ったところで石窟の入口に到着した。


【麦積山石窟その1】

【麦積山石窟その2】
   

 麦積山石窟は東晋の時代、384年から417年くらいの間に創建が始まったとされる。途中734年に当地を襲った地震により甚大な被害が生じたものの、 挫折することなく清代に至るまで石窟の発展は続いた。2014年には「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」の一部として、世界文化遺産に登録されている。  <石窟の入口付近から石窟の掘られている山を眺めると、 岩壁が水平方向にギザギザした形に見える。 なるほど麦わらを積み重ねたような様子だ。 蜂の巣のようにも見える。石窟に登る階段で係員が入場券の改札をしていた。 観光客の男性が係員と何か話しをしている。男性は私を見て話しかけてきたのだが、 どうやらふもとの風景区入口で入場券を買わずにここまで来てしまったらしい。 早く到着しすぎて券売の窓口がまだ開いていなかったようだ。私は一番乗りではなかったのだ! 途方に暮れる男性を横目に改札を済ませて早速見学開始。岩壁に歩行できるような道はない。別途設置された歩道と階段で移動をするのだが、 何しろ絶壁にあるので、歩道から下を見下ろすとなかなか怖い。
 当石窟には東側に54、西側に140もの部屋が掘られており、石像はその数7800余りに上るらしい。 石像ひとつひとつの精巧さは実に見事だ。大昔の人々の技術水準と情熱がありありと伝わってくる。 ただ、ほとんどの部屋には金属の格子戸がはめ込まれて保護されていたため、精巧さをつぶさに確かめることができなったのは残念だった。
 参観を終えて風景区入口まで戻ると、ちょうど観光バスが何台も到着しているところだった。 ほとんど誰もいない時間帯にゆっくり参観できたのは運がよかったようだ。やはり一番乗りには良いことがあった。


仙人崖


【巨大な崖に思わず息をのむ】

【天水名物「然然(レンレン)」を味わう】

 仙人崖で味わった天水名物
  仙人崖は麦積山風景区から車で30分ほどの場所にある。さすがに麦積山石窟ほどの賑わいはないようで、 入場券売場の前で係員や周辺の住民がバドミントンに興じていた。これも中国ならではののどかな風景だ。
 入場券売場から仙人崖入口までは徒歩で20分ほどかかる。 これほど歩くお正月は初めてだろう。朝から歩いてばかりである。さらに、目的の仙人崖は山の中腹にある。これから山登りなのだ。 入口は開けた場所になっており、専門のガイドさんや線香を売るおばさんが待機していたり、簡単な食事のできる屋台もあった。 ちょうど小腹が空いてきていたので、屋台に腰掛けながらおばさんに何があるのと聞くと、カップラーメンと砂鍋(小ぶりの鍋に様々な具材を入れたスープ。 麺類を入れれば十分お腹の足しになり、美味しい)の他に、「レンレン」があるよと教えてくれた。
 レンレンは「然然」と書くらしい。ゼラチン状の切り身に熱くて辛いタレを絡めて食べる、天水名物の大衆食だそうだ。 ところてんがそのイメージに近いだろうか。見た目とは裏腹に、然然はけっこう美味しかった!
 仙人崖にたどり着くまではかなりの山道だった。恐ろしいほどにせり出す岩肌の下に建てられた寺社。 そこに眩しく指す太陽の光を目の当たりにすると、まさしくここは仙人が降り立つ場所なのか、と思わせずにはいられない。
仙人崖はまさに風光明媚な場所だ。


2日目 街亭古戦場跡


【井戸で水を汲む人々】

 井戸で水汲みをする人々
  天水旅行の2日目は三国志にまつわる史跡、街亭古戦場に向かう。 天水市内から車で2時間強、張家川回族自治県、龍山鎮と経由し、秦安県は隴城鎮に街亭古戦場がある。
 隴城鎮のメインストリートは200メートルくらいの間に商店や食堂がまばらにある程度で寂しい。 その通りに人だかりのする「あづまや」が見えたので写真を撮ろうと近づいてみると、それは井戸であった。 若者たちが順番にバケツを垂らし、水を汲んでいる。それを待つ者は皆一様にスマホを眺めている。 史跡を訪ねるよりも興味深いものを見た気がした。

 石碑があるのは隣の山
 西暦228年、三国時代。魏軍の日々強まる圧力の中、 諸葛亮孔明は自らの後継者にと認めながら、痛恨の失態を犯した馬謖を戒めのために処刑した。 「泣いて馬謖を斬る」の故事が生まれたのが、この街亭古戦場だ。
 古戦場の記念碑は小さな山の頂上にあるのだが、周辺は同じような山がいくつかあり、初め、登る山を間違えてしまった 隣の山の頂上に黒い石碑が小さく見えた。小さな山といっても急勾配で足場の悪い場所もあり、頂上まで20分以上はかかる。歩いてばかりである。


【山頂に建つ石碑】

【山頂からの景色】

 習仲勲筆の石碑
 正解の山の頂上に到着。頂上は見晴らしよく、周囲を一望できて気持ちがいい。 蜀軍の馬謖は周囲の諌めを聞かずに水路のない高地を陣に選んでしまった。 このため魏軍に水源を抑えられて敗戦したわけだが、なるほど周囲に大きな川などは見当たらない。当時の様子に思いを馳せる。
 頂上にあるのは石碑と大きなあづまやだけで、至って簡素な雰囲気。石畳で整備されているものの、 開発が途中で止まっている様子だ。コンクリートで固められた歩道や階段が不意に途切れている。これも中国おなじみの風景である。
 石碑には習仲勲筆の「街亭古戦場」と題字が旧字体で刻まれていた。周仲勲は現国家主席の周近平の父親である。 習仲勲は国共内戦時代にこの甘粛省や陝西省を管轄として功績を挙げた経歴がある。 このように国家主席と縁の深い人物の書いた石碑のあることだし、今後開発が 進んで町おこしが進むことを期待したい。

 もうひとつの名所「女媧祠」

 街亭古戦場の近くには隴城鎮のもうひとつの名所「女媧祠」がある。女媧とは中華民族の祖先のひとりとされている伝説上の人物で、 この隴城の出身とされている。女媧祠はその女?を祀った廟である。女?祠の前の広場では地元の人たちが集まっておしゃべりやトランプなどをしていた。
日本ではこのようなのどかな光景はもう見ることはできないだろう。そう思いながら隴城鎮を後にした。 (終わり)

 

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