井上靖の小説「敦煌」に感銘を受けてシルクロードの魅力に憑りつかれ、実際に敦煌を訪れた人も多いだろう。
寧夏回族自治区の首府銀川市は、「敦煌」に登場する西夏王国のかつての都だ。銀川郊外には西夏王国の代々の王が葬られた西夏王陵があり、当時の隆盛を忍ばせる。
敦煌の次は銀川に行ってみたいと考えている人も多いのではないだろうか。
寧夏回族自治区は中国西北地方の小さな地域で、南北に細長く、西と南に甘粛省、東に陝西省、北は内モンゴル自治区に囲まれている。
銀川市は自治区北部に位置し、南部に比べると乾燥した気候で、郊外には黄河が流れる。
寧夏回族自治区の人口の2割から3割を占めるのがイスラム教を信仰する回族の人々で、銀川の街には牛肉麺や羊肉麺を出す、看板にイスラムを意味する「清真」と書かれた店が多く見られる。
回族の作る羊料理の美味しさは漢族でもかなわないそうだ。「清真寺」と呼ばれるイスラムの寺院も多く、日ごろ日本人がイメージする中国とは少し変わった顔を見ることができるのが銀川の魅力のひとつだ。
中国では9月15日は中秋節の祝日とされ、3日間の連休となる。この連休を利用して寧夏回族自治区の銀川への旅行を計画した。
切符を確保した「K1297」は広州を18時に出発し、40時間強かけて2日後の午前10時に銀川に到着する路線だ。西安から銀川までは約14時間。
21時過ぎに西安を発車するため夜行列車の旅というわけだ。
夜行なので車窓の景色は楽しめないものの、寝台車で睡眠をとり午前中に銀川に到着してすぐに行動開始できる。
長距離列車の車中での過ごし方は様々だ。ずっと寝ていて起きない人もいれば、ひまわりの種や果物を食べながらおしゃべりをしている人もいる。
スマートフォンでダウンロードしたドラマや映画を見ている人がやはり多いだろうか。このような人たちにとってモバイルバッテリーは必需品だ。
最近の高速鉄道を除いて鉄道車両に電源コンセントが付いていることは少ないため、モバイルバッテリーがなければスマートフォンは使い物にならない。
このことから、モバイルバッテリーの需要は長距離移動の多い広大な中国において、日本とは異なるニーズを生み出している。
日本では1回充電タイプのコンパクトでスタイリッシュなものが多いが、中国のモバイルバッテリーは質実剛健、2,3回充電できるタイプのものが主流だ。
大きさもスマートフォンより一回り大きい。
列車内でも必ず乗務員がモバイルバッテリーを売りに来る。ちなみに、モバイルバッテリーは中国語で「充電宝」と呼ばれている。言いえて妙だ。
銀川駅は繁華街から車で30分ほどの場所にあり、繁華街へは省政府やドイツ系のケンピンスキーホテルなどが立地する新市街を通る。
寧夏博物館はこの新市街にある。1958年に寧夏回族自治区が成立してから50周年にあたる2008年にオープンした博物館だ。
回族自治区と称されているだけあり、自治区の歴史や回族の文化を紹介する展示などの他、やはり目玉は西夏王国に関連した出土品の展示だろう。
宋の時代に興り、やがて元に滅ぼされるまでの約200年の間、この謎に包まれた国の文化や技術水準がいかに高かったかを当博物館の展示で確認することができる。
中国の博物館は特別展示を除けば無料で見学できる。博物館はその土地の自己紹介をしてくれる貴重な施設だ。
初めて訪れた街にある博物館は必ず見学しておきたい。
回族の街銀川にはイスラム寺院(モスク)がいくつもあり、中でも銀川のシンボルでもあるのがこの南関清真大寺だ。
イスラムの祭日には回族の人々でごった返している様子が入場券の写真から窺える。
いかにもイスラム独特といった感じの、タマネギの形をした緑色の屋根がエキゾチックで印象的だ。
入口を入って真正面の階段を上ると礼拝堂がある。イスラム教は偶像崇拝をしないので礼拝堂といっても何かあるわけではない。
ただ絨毯などの敷物が敷いてあるだけの広々とした部屋だ。日本の柔道場や剣道場に少し雰囲気が似ている。
天井はガラス張りになっており、陽の光を採光できて明るい。
礼拝堂の入口には礼拝の時刻を示していると思しき時計が並べて掛けられている。院内の両脇は経典を教えるであろう教室やシャワー室があった。
南関清真大寺を出て左隣は回族が経営するレストランが軒を連ねるグルメストリートになっている。
少し早かったがここで夕食にすることにした。お目当ては当然羊料理である。
愛想のよさそうなおじさんとおばさんがいる店を選び、外の席についた。
「手抓羊肉」をチョイス。羊肉を茹でたもので、1斤(500グラム)単位で注文するシステムだ。
手づかみで食べるので「手抓」と呼ぶのだろう。手抓羊肉は羊を臭みなく調理できる回族秘伝の味なのだ。
食事をしながら周囲を見渡すと、どの店の看板にも、中国語の他に必ずアラブ語と思われる文字が併記されている。
ウイグル語だろうか。KTV(カラオケ店)の看板も例外ではない。さすが回族の街である。
ところが飲酒については戒律がゆるいようで、どの店にもレジにビールや白酒が置いてあった。
モスクが隣にあるのに大丈夫なのだろうか。これも中国ならではのエピソードと言えるかもしれない。
2日目の朝はあいにくの雨。旅路が必ず快晴とは限らないとはいえ、憂鬱な心持ちになってしまう。
車で北へ1時間ほどの場所に西夏王陵がある。到着するまでの間に雨足はだいぶ弱まり、なんとか傘を差さずに済みそうになってきた。
入口には西夏文字が大きく書かれた城門があり威風を漂わせている。
天候悪しとは言え、駐車場には観光バスが数台停車しており観光客を吐き出していた。
西夏王国は1038年から1227年まで存在した王朝である。元に滅ぼされるまで現在の寧夏回族自治区および甘粛省一体を支配した。
西夏文字を始めとした独特の文化や習慣は、井上靖の小説「敦煌」にて昇華されている。
西夏王陵の敷地は広大で、入口を入りカート乗り場で全員カートに乗り込み、最初の目的地である博物館まで移動する。
なかなかのスピードでカートは疾走し、5分くらいで博物館に到着した。降車場所のはるか向こうに黄土色のこんもりとした山が見える。
王墓だ。博物館の展示は昨日見た寧夏博物館の展示をさらに詳しくしたものになっており、西夏文字の解説や、豊富な出土品の数々が展示されている。
宋の文化の影響も受けつつ、他の周辺部族を取り込んで繁栄していった西夏の独特さを感じ取ることができる。
博物館の隣には西夏の興りから滅亡までが描かれた絵を展示した建物がある。
西夏の歴代君主、他国との戦争や全盛期に行った施策など合計10枚ほどの大きな絵が展示されている。
西夏の歴史を説明文つきで眺めることができるので見ておくとよい。
カート乗り場に戻り、カートが満席になり次第王墓に向かって出発する。
はるか向こうに王墓は見えているのだが、それでもカートを使わないと相当時間がかかるだろう。
向かっている王墓は第一王墓で、第二、第三王墓はまた相当離れた場所にある。
カートを運転するおじさんによると、第四王墓もあるそうだが公開されていないらしく、おじさんもまだ見たことがないらしい。
カートは王墓のだいぶ手前に停車した。確かに間近までカートで行くよりも、自分の足でじっくり近づいたほうが感動が増してよいだろう。
王墓はもともと八角形をしており、風化して現在の形になっているそうだが、大きさの点から言えば始皇帝や漢の皇帝の陵墓よりはスケールは小さいかもしれない。
王墓以外にも出土した瓦を大量に積み重ねて置かれている場所があり、瓦があるということは建物があったのかという疑問が沸いたが、詳細はわからず仕舞いだった。
第二、第三王墓はカート移動の都合上、カートの停車した場所からの見学となるので、自由に見学できる第一王墓をたっぷり堪能しておこう。
第二、第三王墓の見学を終えるとカートはそのまま出口に向かい見学終了となる。
昼頃に西夏王陵から銀川市内に到着し、昼食に牛肉麺を食べた後、市内西北部にある海宝塔寺公園に向かった。
園内にある海宝塔が公園のシンボルになっている。9階建11層で高さ53.9メートル。塔の起源は不明らしいが、銀川の仏教建築で最も古いものだそうだ。
地震の影響等でこれまで何度も修復が重ねられている。
寺の規模は大きくないが、きれいに整備された公園と歴史を感じさせる古い建築物とのマッチングが心地よい。
海宝塔寺を見学し、公園をしばらく散歩した後、西南部にある承天寺に向かった。
承天寺は西夏を興した初代皇帝李元昊の死後、幼くして皇帝に即位した息子の息災と国の繁栄を祈念し、1050年に李元昊の妻が建立したとされている。
承天寺にも塔があり、高さは64.5メートルで、西安にある大雁塔よりも50センチほど高いのがアピールポイントだ。
街中の喧噪にたたずむ寺院の敷地内は落ち着いた雰囲気で、片隅に笛を吹いている男性がおり、静寂のなかに響く笛の音が風情よく感じられた。
夕食後、市内を散歩する。若者で賑わうアーケード街やデパートを歩く。鼓楼がライトアップされていて美しい。 近くの楼閣「玉皇閣」では祭日の合唱イベントが行われていた。 銀川は中国でもかなり北方に位置するが、この9月中旬の気候ならば、陽が沈んでからでもじゅうぶん快適に散歩を楽しめる。
今朝も雨こそ降っていないが、どんよりとした曇り空。今日の目的地は水洞溝。運転手の馬(マー)さんに宿まで迎えに来てもらい出発だ。
馬さんは生まれも育ちも生粋の銀川っ子。10年前と比べて銀川は変わりましたかと聞くと、「とんでもないよ!10年どころか5年前とも様子が違うよ」との事。
確かに西安などに比べるとまだ数は少ないが、高層マンションの建設も着実に進んでいるし、
繁華街にはユニクロやH&M、バーガーキングなど外資系の店舗も見ることができる。
沿岸部から遠く離れたこの銀川の街も、開発の波が押し寄せているのだ。次にまた銀川を訪れる機会があれば、その時はまた違う銀川を見ることになるのかもしれない。
水洞溝は銀川市内から車で東へ40分ほど。途中で銀川空港を通過し、明代に建てられたとされる万里の長城が道路沿いに伸びているのを眺めているうちに到着する。
水洞溝は観光施設で最高ランクを示す「国家5A級」を与えられた銀川有数の観光スポットである。
明代の長城、洞窟を利用した要塞、そしてこの地で発掘された三万年前の人類が使用していた石器、動物の化石などが公開されており、考古学上でも重要な場所である。
敷地は広大で、ハイキングあるいはちょっとした冒険感覚を味わえるように整備がされており、一大テーマパークと言ってもよろしい開発の力の入れ方をされている。
歴史に関心はなくても家族連れでも楽しめるような施設を目指しているようだ。
迫力ある入口を入ると大きな広場となっており、右に入場券と土産物売場、左が水洞溝博物館がある。
先に進むには博物館を見学し館内を通り抜ける必要がある。
館内には三万年前の遺跡で発掘された石器や動物の化石などや、発掘がどのように行われたかの写真付きの詳細な説明が展示されている。
発掘にはフランス人考古学者の協力があったようで、説明文には中国語の他にフランス語も併記されている。
博物館を通り抜けて再び外に出てしばらく歩くと石器時代の生活を復元した住居群が現れる。
茅葺屋根の住居の前では石器時代の恰好をした係員が木の棒と板を使って必死に火を起こす真似などしている。
中には私が近づいたのに気付き、慌てて作業を開始する係員もいる。教育の徹底が必要だろう。
更に先に進みカート乗り場に到着した。遠くに岩山が見える。
係員のおばさんにカートはいつ出発しますかと聞くと、人数が集まり次第だとの事。
周囲に私の他に客はおらず、そもそも博物館を出てから見かけていない。「歩いていった方がいいよ!」とおばさんに言われてしまった。
仕方なく岩山まで徒歩で向かった。15分ほどで到着。ここは3万年前の遺跡が発掘された地層のある場所だった。
そのことを示す石碑も建っている。近くに家畜小屋があり牛の鳴き声がするが、何のために牛が飼われているかはわからなかった。
階段を上ると奥に長城が見えた。明代に建造されたとされるものだ。外見は長年の風化でごつごつした様子でしかないが、明らかに人の手で作られたものだとわかる。
長城に上って周囲を見渡す。天気がよければ素晴らしい眺めだったに違いないが仕方ない。
旅路が必ず快晴とは限らないのだ。長城ははるか向こうまで伸びている。かつて、ここから北は異国だったのである。
長城を歩いていて下を眺めると湿地帯で、板張りの遊歩道があり長城を上らずにこちらから進むこともできるようだ。
長城をしばらく歩くと階段があり、降りると水辺が見えてきた。かなり大きい湖のようで向こう岸が見えない。
遊覧船の発着所で係員が私を呼んでいる様子だ。出発するらしい。発着所まで走って船に飛び乗る。船内には数人の観光客が着席して談笑していた。
私の乗車とともに船が出発し、曲がりくねった形をした湖をゆっくりと進む。
皆それぞれ雄々しい岩岸を写真に納めたりしながら、10分ほどで岸に到着。船内の人たちとはここから先、出口まで行動を共にすることとなった。
遊覧船を降りた場所から爬虫類館が見えたが、このようなところで爬虫類と戯れてもと思い、
立ち寄らないことにした。他のお客さんたちも同じ気持ちだったのかそのまま通り過ぎ、ラバの馬車乗り場までやってきた。
皆で同じ馬車に乗り込んで馭者のおじいさんがか細いムチでラバの尻を叩くとラバが歩き出した。
ラバは体が小さく歩幅も狭いが、早歩きで進むのでなかなか軽快な乗り心地だ。
途中糞をし出したのだが、決して立ち止まることなく10分ほどで停留所に到着した。
ラクダの馬車を降りて両側が岩山になっている谷間の道を歩いて行くと、明代の要塞跡「藏兵洞」の入口が見えてくる。
北方からの侵入に備えて長城と共に重要な軍事拠点として使用されていた洞窟で、手付かずで残っているのは大変珍しく貴重だそうだ。
近代になってからも国共内戦時に使用され、作戦会議室、指令本部、研究室、兵士の寝室などが揃っており、
当時使われていた武器や火薬、保存食の木の実やドライフルーツなどが現存していて展示されている。
敷地面積は約3200平方メートルあるそうで、広くて見応えがある。
洞窟を出るとカート乗り場があり、このカートの到着場所が水洞溝の出口となっている。
食事や寄り道をせずに出口まで来たが、それでも2時間弱かかった。家族連れならばのんびりハイキング気分で半日は過ごせるのではないだろうか。
入口に戻って運転手の馬さんと待ち合わせ、銀川市内に戻る。
帰りの列車まで時間があるため、馬さんのおすすめの羊肉麺の店の近くで降ろしてもらい、お礼を言って別れた。
一品羊肉老搓麺はガイドブック「地球の歩き方」にも紹介されている、回族経営の店で銀川市内にいくつも支店がある。
羊肉のほかにジャガイモやニンジンを角切りにしたものが入っており、熱くて真っ赤なスープはトマトベースでそれほど辛くなく味わいがある。
麺はまさにうどんといった食感で、日本人には食べやすいだろう。うまい。
さあ、腹ごなしが終わったところで銀川駅に向かおう。西安までまた14時間の旅だ。
西安の人口870万人に比べ、銀川は人口200万人とだいぶ開きがある。 西安は大昔からシルクロードの要衝として栄え、現代でも中国政府が「一帯一路」政策を唱えて今後も大いなる発展が期待される。 銀川も開発の波が猛スピードで訪れているとはいえ、これといった産業もなく、西安ほどの発展は期待できないというのが正直なところだろう。 よく言えば、大都市の喧騒とは無縁の、静かで落ち着きのある、過ごしやすい街だ。 イスラムの教えを守る回族は発展を少しずつ受け入れつつも、自分たちの基本的な生活スタイルを今後も崩すことなく、穏やかな時間に身を任せていくのだろう。
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