シルクロード旅行 新疆・カシュガル/タシュクルガン編 


標高7719m パミール高原のコンゴール

 2009年に学生時代の先輩であるMさんの結婚式に呼ばれて西安を訪れて以来、中国という国に魅せられ、それからほぼ毎年中国を訪れるようになった。 結果、その数年後にわたしは西安に住まいを移し、中華と西域の文化が複雑に絡み合うこの街で暮らしている。 「西安中信国際旅行社」のTさんとはMさんの結婚式で知り合って以来、わたしの中国旅行の手配や、生活面でのアドバイスなど多くの場面でお世話になっている。 今回のコラムは2013年、まだわたしが日本にいるころ、Tさんに誘われて新疆ウイグル自治区の西部、カシュガルとタシュクルガンを訪れた時のものである。 仕事がそれなりに忙しかったはずだが、どのように休暇を工面したか覚えていない。 覚えているのは新疆の砂埃の匂いと運転手のカルマンさんに飲まされ酩酊した白酒の味、そしてムスターグ・アタ山の雄壮たる景色ばかりである。


2013/3/16(土) ウルムチへ

 

11:40 北京到着

 北京は曇り。埃っぽい。機内のアナウンスで気温のことを言っていたのだが、聞き逃してしまった。肌着にシャツ一枚でちょっと肌寒いくらい。 だいぶ歩いて乗り継ぎカウンターまでたどり着いたものの、ウルムチ行きの便の搭乗ゲートがまだ発表されていないではないか。 仕方なくまた30分ほどウロウロする。腹が減ったのだが荷物受取エリア付近にレストランやお店はない。 ようやく搭乗ゲートが案内板に表示されたので荷物を預けて搭乗エリアに向かう。ようやくお店の立ち並ぶエリアに出たので、味千ラーメンに入り腹ごなしをする。
 搭乗ゲートに到着したが搭乗開始が少し遅れているようだ。当初の搭乗予定時刻から30分ほどして周囲に段々と人が集まり始める。 中国語でなさそうな声が聞こえる。ウイグル語だろうか。斜め前に彫りの深い顔立ちの中年の男女が現れた。 おじさんはつばのない小さな白い帽子、おばさんの方は黄色いスカーフで頭を覆っている。 搭乗が始まりみな順々に搭乗を始める。先ほどのウイグル人らしきおじさんはビジネスクラスに座っていたが、なぜかおばさんはエコノミー席に座った。

20:40 ウルムチ到着


様々な種類の串が並ぶ食堂 ウルムチ

 離陸は40分以上遅れたのに、着陸は20分ほどの遅れで済んだ。飛行時間に余裕をもたせているのかもしれない。 ともかくウルムチに到着だ。荷物を受け取り、M先生、T先生と落ちあう。 T先生の取引先の旅行会社の方の運転で市内まで。ウルムチはとても寒いというほどではないが、けっこうひんやりする。 22時ころホテルに到着し、荷物を置いて遅い食事に出かける。入口でシシカバブを焼いている店に入る。イスラム食堂だ。店員はみなつばのない帽子をかぶっている。 外にいた店員さんがビールを三本持ってくる。別の店で買ってきたそうだ。店では酒類を出さないが、他店で買ってきたビールを店の中で飲むのは黙認されるらしい。 「あまり飲み過ぎないように」と注意を受けた。ビールとシシカバブを数本、そして牛肉麺で腹ごしらえをする。

2013/3/17(日) カシュガルへ

 

午前の便でカシュガル空港へ

 6時起床。これは北京時間なので実際は2時間ほど遅れるのが新疆時間らしい。 実際、新疆ウイグル自治区のテレビ局は北京時間よりも2時間遅い時間を表示していた。 同室のMさんが別の部屋で寝ているTさんに起きたかどうか電話をかけている。6時半ころ出発。まだ夜は明けていない。 ホテルの外に迎えの車がきている。昨晩ウルムチに到着し、夜が明けきらないうちにウルムチをあとにする。 カシュガルへの旅の後、もう一度ウルムチに戻ってくる予定だが、やはり夜の到着で、わたしは翌朝早くの便で帰国することになっているため、 夜のウルムチしか知らずにこの旅を終えることになる。
 9時前に飛行機は離陸し、ごつごつした茶色い岩山を眼下にして飛行機はカシュガルに向かう。 錯覚なのか、岩山がずいぶんと近くに見える。いつ果てるともなく続いていく。乗客の半分以上はウイグル族と見られる人たちだ。 日本からウルムチに来るまでに乗り継いだ機内の雰囲気と同じ国内を移動しているとは思えない。10時半ころカシュガルに到着。 空港で運転手のカルマンさんが出迎えてくれた。カルマンさんはどっしりした体格の、ちょっとこわもての人物だ。旅先ではこういう人が頼りになるのだ。

畜産バザールにて


カシュガル空港から市街へ向かう途中で立ち寄った畜産市場

 街に向かう途中でバザールに立ち寄った。家畜を取引する専門の市場のようだ。車を降りると細かい砂にスニーカーが埋まる。 羊や牛を引っ張る埃と土にまみれた男たちが見える。顔つきは東アジアに住む人たちのそれとは明らかに違っている。中国人や、もちろん日本人もいない。 バザールの入口に警官やスーツを着た男たちがたむろしている。カルマンさんは彼らと無言で握手をしていく。貫禄を感じる。 軽トラックの荷台に乗った二人の幼児が訝しげにこちらを見ている。その前を羊をぎゅうぎゅうに乗せた大型トラックが通り過ぎていく。 バザールの敷地の隅には食事をする場所もあり、そこで炉で焼いた焼き肉まんのようなものを食べた。中身は羊の肉がたっぷり入っている。 とても羊臭く始めは思わずウッとしたが、他に何のごまかしのない羊の味は、以降のわたしの羊肉への傾倒の原点となった。これぞ新疆の味だ。

カシュガル市街観光



ロシアの領事館だった色満賓館

カシュガル老城

カシュガルのバザール

観覧車から見たカシュガル市街

高級イスラム料理

エイティガール寺院

 市街に入り、色満賓館と呼ばれる建物に立ち寄る。 ここは大昔ロシアの領事館だったところを改修して宿泊施設にしたそうで、歴史的意義のある建築様式をいまも留めている。 ここに泊まるわけではないのにわざわざカルマンさんは立ち寄ってくれたのだ。その後我々が泊まる宿に到着し荷物を置いた後、昼食へ出かける。 これも立派な佇まいの造りのレストランへ案内された。 そこにはカルマンさんの奥様もいらして、カルマン夫妻に招待された形となった。 羊肉を串焼きにした「シシカバブ」(昨晩ウルムチの店で食べたのより大きい)、ウイグル式ピラフの「ポロ」、 ゆでた麺に羊肉と色々な野菜を炒めたものをかけた「ラグメン」などをいただいた。面白いのはヨーグルトと紅茶だ。 普通、中国のレストランでヨーグルトや紅茶が出てくることはないだろう。 それだけ西にやってきたという感じがする。地図を見ればわかるが、中央アジアや中東との国境はもう目と鼻の先なのだ。
 タクラマカン砂漠の西に位置するカシュガルは古くからシルクロードの要衝として栄えたオアシス都市として知られる。 中国史に登場するのは前漢(1世紀初め)の時代、疏勒(ソロク)国がこの地に都を定めていた時からである。 10世紀にカラハン朝に制圧され、初めてこの地にイスラム教が伝わった。それまでは仏教を信仰する人々の土地であった。 アジア風な顔つきの人がいるのも自然なことだろう。
 食事の後再び宿に送ってもらいカルマンさんと別れる。 夕食まで自由時間である。MさんとTさんとわたしで市街を散策することに。まずは老城と呼ばれる旧市街跡へ。 今はほとんど取り壊されてしまっている、土を固めて作られた家屋が建ち並ぶ古くからの界隈が未だ一部分だけ残されている地域がある。 高台にあるため周囲にライトアップできるような設備が施されている。政府にも保存して残しておく意思はあるようだ。 大人たちは働きに出ているのか、あまり人気はない。 たまに屋内から子供の声が聞こえるばかりであったが、ぶらぶらしながら古い家並みの写真を撮っていると、どこからか子供たちが集まってきて、 自然と撮影会のような形になってしまった。アジア人というよりも欧米人のような顔立ちをした子ばかりだ。 部外者の立ち入りが珍しいのか単にカメラが珍しいのか、子供たちの有り余る元気をぶつけられ、少しくたびれた。
 老城を後にし、カシュガルの観光名所のひとつ、エイティガール寺院を訪ねた。1422年創建、面積1万6000平方メートルの広大な寺院である。 カルマンさんも出張を除き、週に1度以上この寺院に訪れ礼拝をすることを欠かさないそうだ。 寺院前の広場は地元のウイグル人の憩いの場であり、周囲は土産物屋や商店で賑わっている。 イスラム歴の祝日には数万人の人々が訪れるそうだ。ここはカシュガルにおけるランドマークのひとつなのだ。
 エイティガール寺院から宿の方向に戻る途中にある観覧車に乗ってカシュガルの町並みを一望した後、歩いて宿に戻る。 カルマンさんが迎えに来るまで一休み。私たちはここでひそかに密造酒を飲む禁酒法時代のアメリカ人のごとく「ウコンドリンクの素」を呷った。 これを飲んでおけばたくさんお酒を飲んでも二日酔いにならない(なりにくい)のである。日本からわたしが持ち込んだものだ。 Tさんからカルマンさんは酒が大好きであることを聞いていたからだ。結論から言うと、 わたしたちはこの晩にカルマンさんに白酒(度数40度以上の蒸留酒)をしこたま飲まされ、翌朝もかなり気持ち悪い状態が続く始末となった。 ウイグル族をイスラム教徒だからといって侮るなかれ。たいへんな大酒飲みである!

2013/3/18(月) タシュクルガンへ

 

タシュクルガンへ


ウパール村でナンを焼く男性

ウパール村ロバの馬車が通る

羊が売られていく

カラクリ湖付近のブロン湖

 9時過ぎ起床。ひどい頭痛を引きずりながら着替えをしてチェックアウトの準備をする。 同室のMさんはいくぶん涼しい顔をしているが、彼は昨晩食事中にテーブルに突っ伏していたことをわたしは知っている。 今日はこれからカシュガルを発ち、半日かけてさらに西部にある町タシュクルガンに向かう。朦朧とした意識の中、カルマンさんの車に乗り込む。 Tさんは「昨日もたくさん飲みましたね」と涼しい様子。 Tさんは職務上、中国の取引先の旅行会社の人たちとそれこそ浴びるように白酒を酌み交わしている。百戦錬磨なのである。
 カシュガル市街を抜けて30分ほどするとソロク県に入り、さらに30分ほどでウパール村に到着する。 ここで少し早い昼食。あまり食欲はない。食堂で「ポロ」をいただく。羊肉のゆで餃子が一個載っている。 元気な時であればたやすく完食できたであろうこの香ばしいピラフも、半分くらい食べたところでギブアップ。 自分だけ食堂を早く出て、外の空気を吸う。調子の悪いわたしを察してカルマンさんがナンを売る店に連れて行き、ナンを焼いている釜を見せてくれた。 ウイグル人の若い男性が細い鉄棒を器用に操り釜の中から香ばしく焼けたナンを取り出している。テーブルに山と積まれたナン。 ムスリムにとってのナンは日本人にとってのお米なのだろう。 切っても切り離せない関係なのだ。砂埃のするメインストリートをおじいさんを乗せたロバの馬車がコトンコトンと音を立てて通り過ぎていった。
 ウパール村を出発。周囲はごつごつした岩山に囲まれ、舗装された道路だけが一直線に伸びている。 カラコルム・ハイウェイである。このへんが崑崙(こんろん)山脈だよ、とカルマンさんが教えてくれた。 1時間ほど走り、小休止。車を降りるとだいぶひんやりとする。標高が高くなっているのだろう。近くに小川があり、澄んだ水が流れている。 小川で水の流れを眺めていると、ともなく向こうから二頭の動物が歩いてきた。ヤクである。 イノシシを一回り大きくして毛むくじゃらにした感じだ。牛のように温厚でのそのそと歩いてくる。 わたしが写真を撮ろうと近づいた途端、二頭ともゆっくりと踵を返して、もと来た道を戻っていってしまった。休憩を終えて出発。 しばらくすると検問所が現れた。検問所の周囲には山の岩肌沿いにほんの数軒だが小さな家屋が立ち並び小さな集落を形成している。 とても寂しい場所だ。しかしこんな場所でも子供の声が聞こえてきた。見ると小さな子が犬と戯れている。 両親はここでどんな仕事をしているのだろうか。何れにせよ、どんなに寂しい場所でもしっかりと自分たちなりの人生を形成している人々がいるのだと思った。

カラクリ湖

 検問所を通過してから小一時間。15時頃にカラクリ湖に到着した。車を降りるともうだいぶ寒い。 標高4000メートル近いという。富士山よりも高いところに来てしまったのか。 宿を出発した時は下着のTシャツに厚手のシャツ、その上にパーカーという服装だったが、こんな軽装ではこの辺りでは過ごせない。 慌ててカバンからネックウォーマーを取り出してかぶってはみたものの、大した効果はない。体を固くしてよたよたしながら周囲を散策する。 湖の波打ち際は凍りついている。水はたいへん澄んでいる。対面の湖岸の山の斜面に雪が薄く積もっているのが美しい。 さらに向こうには険しい山々がそびえている。惜しむらくは天気が曇り空であることだ。まあ贅沢は言えない。もうしばらくいくとタジク自治県に入るそうだ。

タシュクルガンに到着


タシュクルガンの街並み

タジク族の女性

石頭城からの眺め

 カラクリ湖を出発し、30分ほどでタジク自治県に入ったことを示す大きな看板を通過した。さらに40分ほどすると右手に大きな建物が見えてくる。 タジキスタンの国境のイミグレーションである。中国からタジキスタンへはここから行けばよい。茶色い荒野が続く。はるか彼方に山脈が連なる。 午前中に宿を出て、もうかれこれ17時になろうというのになかなか到着しない、などと不平を言ってはいけない。 かつてこの辺りを三蔵法師や名もない数多の行商人たちが何日も何か月も何年もかけて徒歩で往来していたのである。 右手に大きな広場が見え、たくさんの人々でにぎわっている。馬を走らせたりしていて、何やら運動会をしているように見える。 カルマンさんによるとカザフ族のお祭りだそうだ。なるほどみな民族衣装のようなものを着ているのが遠目にも確認できる。
 カザフ族のお祭りを通り過ぎて20分ほどし、ようやく街並みが視界に現れてきた。 タシュクルガンに到着だ。カシュガルに比べるとよほど小さい。住宅地の1区画ほどの規模だろう。高い建物もない。 わたしたちが泊まる「石頭城賓館」がだいぶ大きな部類に入りそうだ。 宿のフロントは漢族と思しき女性が対応していたが、その他の従業員はみなウイグル族であった。 大雑把な表現だが、みなヨーロピアン風な顔立ちのなか、眉毛や目元の感じがアジアっぽい感じがする。 ヨーロッパとアジアの血が混ざり合っているのだろう。シルクロードの雰囲気がしてたいへんよろしい。
 時刻は18時を過ぎているがまだ陽が落ちる様子はない。荷物を置いて石頭城跡を見に出かける。 城壁がわずかながら朽ち果てずに残っている。この城壁から見渡す景色の素晴らしさには言葉がない。 何度もカメラのシャッターを切ったが、このときの感動を写真に残すことはできなかった。広大な草原のを羊の群れが飼い主に促され移動している。 草原ははるか向こうに見える山脈まで続き、傾いた太陽が山脈の影に隠れようとしている。 山脈の頂上付近には雪の白さが映え、陽の光を反射させている。 草原は石頭城跡の裏手から広がっているが、ふもとの辺りは湿地帯になっているようで、木の板でできた通路で整備されているのが見える。 明朝この湿地帯に日の出を見に来ることにし、石頭城跡を後にした。

2013/3/19(火) カシュガルへ戻り、夜の便でウルムチへ。

 

タシュクルガンを発つ


タシュクルガンの朝

 朝8時半ころ起床。まだ夜が明ける様子はない。いそいそと支度をして外に出る。寒い。 やはりこちらはみな新疆時間でものごとが動いているのだろう、道を歩く人もほとんど見かけない。 馬を連れて歩いている人を何人か見かけた。仕事に出かけるのか、あるいは馬の散歩をしているのだろうか。 遠くから軍歌のような曲がけたたましく流れているのが聞こえてくるが、この土地で中華の音楽は残念ながら不似合いである。 恐らく軍隊の基地があるのだろう。昨日訪れた湿地帯に到着した。昨日陽が暮れようとした山脈と反対側の方角から光が差し込みつつあるのがわかる。 我々3人の影が地面に伸びていく。この辺りは上海や広州の投資グループが巨額の投資をしており、この湿地帯に整備されている踏板なども投資によるものなのだという。 やがてはこの辺りも観光地され、漢族がさらに押し寄せるようになるのかもしれない。 それが悪いことと言わないが、地元のウイグル族にもお金が回るような仕組みであって欲しいと願う。
 宿に戻りカルマンさんと落ち合い、宿のレストランで朝食をとる。 中国のホテルによくある朝食中華のスタイルに加え、ウイグルっぽい献立も揃っている。 ドライフルーツやナイ茶などである。ナイ茶はミルクに茶葉を入れて煮立てたものに塩を加えて飲むものだ。 ミルクにお茶はそれほど悪くないが、塩を入れるのはなかなか飲みづらいものであった。けれどこれがウイグルのスタイルなのである。


標高7546m ムスターグ・アタの雄姿

 チェックアウトしタシュクルガンを後にする。また会おうタシュクルガン。しばらく走っていると大きな広場に人が集まっていた。 昨日のカザフ族のお祭りとは違う場所だ。馬の品評会のようなことをしているらしい。なるほど馬が走っているのが見える。 今朝すれ違った馬を連れ歩いていた人はこの会に参加するために出かけていたのかもしれないと思い膝を叩いた。 集落を抜けて再び一面に草原の広がる景色となり、海抜7546メートルのムスターグ・アタ山がやがてその姿を現しはじめた。 昨日は曇っており、その勇姿はよく確認できなかったのである。頂上付近は少し雲に隠れているものの、威厳を持ってそびえている姿は重厚長大、迫力十分だ。 車を降りて景色をじっくり眺めたり写真を撮ったりして休憩する。野生なのか放牧されているのかヤクや羊が草を食んでいるのが見える。
 車は雄壮な景色の中を突っ走り、16時ころカシュガルに到着。 遅い昼食にラグメンを食べ(食べ飽きない)、飛行機の時間までまだ余裕があるので、カルマンさんに喫茶店に連れていってもらった。 スターバーックスのようなところではなく、ヨーロッパ調の内装をしているが、どことなくイスラムの雰囲気のする店である。 給仕をしているのがウイグル人だからであろうか。女性はみなストールで髪を隠している。お茶はやはり紅茶である。蜂蜜の入った小さなガラスの小瓶が添えられている。 給仕をしていた若い男女が店の隅で手を握りあっているのが見えた。恋愛をしているのだ。 イスラムの若い人たちも恋愛をしていいものなのだな、などと考えをめぐらせていると、自分はまだこの土地の人たちのことをほとんど何も知らないんだ、と気がついた。 (終わり)


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