内モンゴル自治区の旅(2017/10/1-10/8)前編


中秋節の夜のフフホト市街

 西安に居を構えて(賃貸ですが)2年半。この間に多くの場所を訪れた。西安近郊の名所旧跡はもちろん、 新疆ウイグル自治区、チベット自治区、甘粛省、青海省、寧夏回族自治区など 、 いわゆる西北地区と呼ばれる地域を中心に旅をしてきた。 次なる目的地である内モンゴル自治区は中国大陸の北部を東西にまたがる広く長い地域だ。 モンゴル国はもちろん、ロシアとの国境にも接している。 北方に位置するため冬の厳しい寒さは想像に難くないが、 夏の観光シーズンには一面緑が広がる草原地帯が訪れる人々の心を癒す。また、シルクロードの食文化と同様、 内モンゴルでも羊を育て食すこと盛んである。 中国に来て羊の味にすっかり魅了されたわたしは、期待に胸膨らませて夜行列車でフフホトに向かったのであった。

2017/09/30 0日目

18時過ぎの列車でフフホトへ


西安駅構内中央ホール

西安駅構内で改札を待つ人々の列

 毎年10月1日は中国の建国記念の祝日「国慶節」であり、1日から1週間は休日とすることを中国政府が定めている。 この期間と旧正月は人々が里帰りをしたり旅行に出かけたり、大規模な移動が盛んに行われる時期なのである。 この期間は列車の切符を入手するのも容易ではない。今日9月30日の夕刻、普段以上に人でごった返す西安駅を訪れたわたしは、 この激烈な切符争奪戦に勝ち抜いた一人である。これから内モンゴル自治区の都市フフホトまで13時間の旅が始まる。 幸先よく、わたしの乗車する列車「K1674」は西安発であるため、特段の遅延もなく発車の30分以上前から改札が始まった。 意外に思われるかもしれないが、これに限らず、中国の鉄道で遅延に遭遇した経験は驚くほど少ない。実際どの程度の正常運行率なのか正確な数字は知らないが、 大陸を日々何千キロも運行するインフラ網をここまで安定させているのは中国政府の努力のたまものと言ってよいのではないだろうか。
 列車は18時12分に発車、わたしの寝台の周囲は若い人たちが多い。地方から西安に学びに来ている学生たちだろう。 みな特に騒ぐことなく各自ベッドに寝転がってスマホの画面に集中している。わたしは事前に買っておいたカップラーメンと中秋節のお祝いにもらった月餅を夕食とした。 慎ましいでしょう? わたし以外にも車内でカップラーメンをすすっている人は多い。 中国を訪れたことのある人なら、空港に給湯設備があるのを見たことがあるかもしれない。鉄道の駅や列車内も同様に設置されているのである。 もとは冷水や真水を飲むことを嫌う中国の習慣から普及したものと考えられるが、これがカップラーメンの普及にも一役買ったのであろう。
 22時ころ寝台車両は消灯され鉄道が線路を進む「ガタンゴトン」という音だけが車内に響く。 暗い車内を歩く足音に目を覚ますと列車が停車していてどこかの駅に到着したのだとわかる。 再び列車が走り始めて外を見やると暗闇の向こうに民家の明かりが灯っているのが見える。 乗車してきた人は自分の寝台を見つけ身支度を整えるとすぐに眠りにつき、車内は再びガタンゴトンという音に包まれた。

2017/10/01 一日目

フフホトで「稍麦」を食べる


フフホト駅

「稍麦(シャオマイ)」。羊肉のシューマイ。

 6時ころ車内の明りが灯り、列車は「包頭(パオトウ)」に到着。この街には旅の5日目に再び訪れることになっている。 パオトウを発車して1時間半ほどで列車は「呼和浩特(フフホト)」に到着。 人口308万人、内モンゴル自治区の首府である。1500年代に当時のモンゴルの君主(ハーン)であったアルタン・ハーンによって開かれた。 
 実はフフホトは経由地であり、目指す目的地はまだまだ先である。これからバスで30分ほど離れたフフホト東駅まで行く必要があるのだ。 フフホトの観光はまた後日。ちょうど朝食の時間なので腹ごしらえを。フフホト駅を出てしばらく歩いていると「稍麦」の看板を発見。早速入ってみよう。
 「稍麦」とは何か? これはシューマイのことである。シューマイは中国各地で書き方が違い、「焼売」と書いたり、「焼麦」と書いたりもする。 内モンゴルで食されるシューマイは羊肉を使っていることに特色がある。 注文を受けてから餡に衣でくるんで蒸し始めるスタイルで、10分ほどして湯気を立てたシューマイが到着。蒸籠に8つのシューマイが綺麗に並べられている。 日本のシューマイよりもだいぶ大きい。調味料は黒酢とラー油である。早速ひとつ取ってかじってみるとさすが蒸し立て。 熱くてうまい!衣を噛むと熱い肉汁があふれ出てきて口を火傷しそうである。羊肉の香りが漂ってきて食欲をさらにかき立てる。
 お店の親切な老板夫婦にフフホト東駅までの行き方を丁寧に教えてもらったあと、近くのバス停から路線バスに乗ってフフホト東駅に向かった。 内モンゴルの路線バスは中国語のアナウンスの他にモンゴル語のアナウンスも流れるのが新鮮だ。 モンゴル語を初めて聞いたが、ロシア語の発音によく似ている気がする(ロシア語が分かるわけではないですが)。

フフホト東駅から桑根達来へ


夜の桑根達来駅ホーム

 フフホト東駅は2010年に完成した新しい駅で構内も整然としており混沌とした西安駅に比べるとはるかにリラックスできる。 しかしわたしの乗車する「K1518」は2時間半遅れというアナウンスが!2時間半も遅れるとは何事か! はじめの方で中国の鉄道は遅延がないと書いて中国政府を褒めたばかりなのに。
 アナウンス通りちょうど2時間半遅れて(イヤミ)列車が到着。 フフホトのさらに東、シリンゴル盟(盟は内モンゴル自治区の行政単位のひとつ)にある桑根達来駅に向かう。 約6時間半の旅となるが、寝台車の切符は入手できなかったため、「硬座」と呼ばれる一般車両での乗車となった。 切符購入の競争率の高い列車だけあり硬座の車両は乗車率150%くらいありそうな混雑で、座席のない切符を購入して乗車した人で溢れていた。
 フフホト東駅を出発した列車は約6時間半で桑根達来駅に到着。昨晩からほとんど列車に乗りっぱなしであった。 予定では夕方5時ころ到着のはずがいま時刻は7時半。すっかり暗くなっている。駅の出口に白タクの運ちゃんたちが待ち構えている。 その中から「正藍旗」行きの運ちゃんを選び、というかほとんど半強制的に連行されるような形で車まで連れて行かれた。 そう、目的地にはまだ到着していないのだ。この桑根達来駅からさらに車で1時間ほど、正藍旗という街が今日の本当の目的地なのである。

モンゴル族の経営する宿で一泊

 連行されて押し込まれた車にはすでに男性が1人乗車しており、確認のために「この車は正藍旗行きですね?」と聞くと、彼は「そう、藍旗ね」と言った。 「正」を略すのがこちらの習慣なのだろうか。事前の情報では1時間かかると言われていた道のりも夜間なので運ちゃんがかっ飛ばし40分ほどて正藍旗の街に到着。 背の高い建物のない整然とした閑静な街のように感じられる。 宿はモンゴル族の老夫婦が管理するアットホームな雰囲気で、夜分の到着にも関わらず親切にもてなされ、雑談のなかでモンゴル語を教えてもらう機会を得ることもできた。

2017/10/02 二日目

夏のシーズンに来たかった「元上都遺跡」


正藍旗の街にある公園に建つチンギスハン像

モンゴル族の朝食

元上都遺跡

 セイノー!(モンゴル語で「こんにちは」の意味)翌朝、宿の老夫婦にモンゴル族の朝食をご馳走になった。 甘いパンやチーズ、そしてナイ茶である。ナイ茶はチーズの粉をナイ茶に溶かしながらいただくのがモンゴル族流の飲み方らしい。 朝食をいただいてしばらくしてタクシーが到着した。昨晩の運ちゃんに頼んでおいたのだ。宿の老夫婦に別れを告げ出発。 正藍旗の街を出るとすぐに景色は草原一色になった。所々に羊や牛、馬の群れが見える。家屋も工場も何もない。 草原はなだらかに彼方まで続き、やがて地平線に重なる。素晴らしい景色だ。しかしいまは10月。 内モンゴルの季節はすでに秋を過ぎ、冬になろうとしている。草原の緑は黄土色に変わっているのだ。夏であれば最高の眺めを見ることができるだろう。
 今日の目的地「元上都遺跡」まで正藍旗の街から車で30分ほど。 元上都遺跡はチンギスハンが金を制圧した後、夏の間避暑のために滞在していた地で、後にフビライハンが「上都」と命名し、夏だけ元の首都として機能した都である。 マルコポーロの「東方見聞録」にも描かれ、欧米では「ザナドゥ」という呼称で知られる。 交通の便は悪いが、ユネスコ世界文化遺産にも指定されている遺跡群だ。総面積約435万平方メートル。
 「東方見聞録」には大理石や金であしらわれた宮殿などの記述があり煌びやかな様子が伺える上都も、現在はそのような面影はない。 諸行無常、盛者必衰だ。当時と変わらないのは草原の色が示す季節の移り変わりだけであろう。


快晴の桑根達来駅ホーム

馬乳酒を飲んだあと、列車でフフホトへ


正藍旗の街

快晴の桑根達来駅

車窓から草原を眺める

 上都の広大な敷地はカートで周遊することができ、ゆっくり廻っても1時間半ほどで見学を終えることができた。 わたしは遺跡の入口のお土産売場で「馬乳酒」を購入した。馬乳酒をいただくことは今回の旅の重要な目的のひとつである。 正藍旗の街に戻り運ちゃんがわたしの他の乗客を募集した後、お昼すぎに再び桑根達来の町にやってきた。 フフホトに向かう列車「K1568」は15時過ぎ発なので、それまでゆっくりと昼食をとることにする。 運ちゃんはモンゴル料理店の前でわたしを下ろすと「15時前に迎えに来るよ」と言ってどこかに行ってしまった。 モンゴル料理店で羊を食べようと思ったが、内モンゴルの名物のひとつ「手掴肉(ショウバロウ)」は今日はあいにくないそうで、 代わりに羊肉と野菜の炒め物を頼んだ。さて、お待ちかねの馬乳酒だがこれが実に飲みやすい。アルコール度数は40度以上あってカーっとくるが、 ヨーグルトのような酸味がさわやかに口の中に広がるのである。内モンゴルを訪れたらぜひ馬乳酒をお試しあれ。 「アルコール度数40度はちょっと」いう方もご安心を。ビールと同程度の度数の馬乳酒も売られている。
 運ちゃんに駅まで送ってもらい、赤ら顔で駅舎で列車の到着を待つ。今回の列車は寝台車の切符が取れたのでゆっくりできる。 フフホトに到着するのは22時過ぎである。車窓からはまだ少しだけ緑の残る草原を眺めることができた。 やはり列車はよい。点と点を移動するだけの飛行機では体験できない列車の旅ならではの感覚だ。

2017/10/03 三日目

内モンゴル博物館


内モンゴル自治区博物院

博物院のマンモスの化石

 翌朝8時過ぎに宿を出て近くの牛肉麺店で牛肉ラーメンを食べ、内モンゴル博物院に向かう。宿からは目と鼻の先だ。 昨晩23時頃宿に到着し、8時には後にする。流浪の民、さすらいの旅人だ。内モンゴル博物院に到着すると開館は9時半だという。 まだ1時間以上あると知って愕然とし、まだ宿のベッドでゴロゴロできたと思うと悔しい。さすらいの旅人は辛い。
 会館1時間前でも国慶節の休日とあって長蛇の列ができている。連休になるとみな博物館を訪れるのがこの国の習慣のようだ。 内モンゴル博物院のメインはやはり元代の遺物の展示だ。昨日見学した元上都遺跡で発掘された遺物が多く展示されている。 元は仏教を保護したので仏教に関する遺物も多い。 とりわけ1500年代にフフホトを拓いたアルタン・ハーンはチベット仏教に帰依しダライ・ラマ3世をモンゴルに招くなど、 モンゴルにチベット仏教を広めるきっかけを作っている。 そのため展示物にチベット仏教の文化を代表する「タンカ(チベット仏教の事柄を描いた色彩豊かな掛け軸)」なども見ることができる。
 内モンゴル博物院のもうひとつの見どころはマンモスや恐竜の化石だ。広大な内モンゴルの大地からは大型恐竜の化石が数多く発掘されているのだ。 地下のホールに鎮座するブロントサウルスの化石は迫力満点、 子供たちは大喜びだ。内モンゴルには宇宙ロケットの発射基地もあるう関係で宇宙開発の展示フロアも大変にぎわっていた。

塞上老街


塞上老街

 内モンゴル博物院を出て路線バスに乗り市内観光を開始。フフホト最大のチベット寺院「大召」に入る前に「塞上老街」を覗いていく。 ここはがらくた市が開かれている通りで、大勢の観光客で賑わっている。 本物かどうかわからない貴重な玉石や木で造られたアクセサリーを売る店がいくつも並んでおり、適正かどうかわからない言い値で売られている。 しかし何店か周って似た品の値段を聞いてみると段々と適正な言い値がわかってくる。もし本当に気に入ったものがあれば、 言い値の4分の1から3分の1くらいの値段で交渉開始するのがよい。 複数の品を購入する意思をみせるとより交渉しやすくなる。ただ交渉成立した後に「やっぱりやめた」と言って買わないのはマナー違反になるのでやめましょう。

大召


大召

 塞上老街から東に数分歩くとと「大召無量寺」がある。略して大召とか大召寺と呼ばれることが多い。 アルタン・ハーンが1580年に開いたフフホトで最も古いチベット寺院として知られている。フフホト市内でも有数の観光地だ。 寺院の境内は広々とし、観光バスも多く停車している。 仏閣の中は他のチベット寺院と同様にロウソクの灯りのみで薄暗く、独特の雰囲気を醸している。 どの仏殿の仏像や装飾も見事なものだ。写真撮影禁止なのが惜しい。 この日は何か式典があるのか多くのチベット僧が仏殿の前に集まっていて、その周囲を観光客が何が始まるのかと取り囲んでいた。 高齢のチベット僧が暇つぶしに終始スマートフォンをいじっていたのがよかった。

席力図召


席力図召

 大召と大通りを挟んで向かい側に「席力図召」がある。 歴史は大召よりも少し古く、趣のある寺院だが観光客は比較的少なく、ゆっくりと見学できる。 「席力図」とは「法座」の意味を表わし、アルタン・ハーンが招いたダライ・ラマ3世、 そしてアルタンハーンのひ孫であるダライ・ラマ4世の法座の置かれている寺院として由緒正しいのである。




手掴肉を食べる


手掴肉

 さあ夕食だ!大召の北、「牛街」と呼ばれるレストランの建ち並ぶ通りに到着。 「手掴肉(ショウバロウ)」と店先に書かれた店に入り、手掴肉と涼菜(サラダ)を注文。 昨日の馬乳酒もまだ残っておりますよ。手掴肉はその名前の通り、手でしっかり握れるサイズの骨付きの羊肉を醤油で煮込んだものだ。 味付けはそれほど濃くなく、お好みの塩やスパイスをつけていただく。 うまい。肉を煮込んだ時に出てくる油を使ったスープが一緒に供されるが、これも絶品だ。 肉と野菜をよく咀嚼しスープを少しだけ口にして、続けて馬乳酒のグラスを傾けると喉元からカーっとくる。これぞモンゴルの夜だ。

2017/10/04 四日目

昭君墓


昭君墓

 翌朝路線バスに乗って南へ1時間ほど。「昭君墓」にやってきた。 昭君は実の名を「王昭君」といい、前漢元帝の時代の人である。 宮殿に仕えていたが、匈奴の単于(ぜんう。匈奴の君主)が都を訪れ和親の条件に漢族の女性を要求した際、王昭君は自ら志願し単于に嫁いでいったという。 この女丈夫たる行動力もさることながら、中国で王昭君は古代四大美女のひとりとして知られている。 「昭君墓」には王昭君の陵墓があり、周囲は綺麗に整備され、さらには大きな博物館まで建設中で、 昭君墓を一大観光地にしようとしている政府の思惑がむんむんと感じられる。

莜麺(ヨウメン)を食べる


莜麺(ヨウミェン)

 昭君墓を見学した後ふたたびフフホト市内に戻る。ちょうどお昼時である。 内モンゴルや山西省を中心に採れる「莜麦(ヨウマイ)」と呼ばれる品種の麦を使った麺、「莜麺(ヨウミェン)」をいただくことにした。 少し茶色がかった麺を見ると日本人ならやはり日本そばを思い出す。 小さくちぎった麺を平たく伸ばして筒状にして蒸籠に並べられており、これをスープにつけていただく。 蜂の巣のような見た目が特徴だ。味はやはりおそばに近い香りがして、食感ももちもちして美味しい。

観音寺


観音寺

 食後、近くにある「観音寺」へ。清代の1796年に創建、2000年代にも改築と増築を進め、現在はフフホトの仏教布教における中心地となっている。 この寺院の見どころは何といっても巨大な観世音菩薩の像だ。高さ30メートルを超える圧巻さで、見て損することはない。 観光地の「格」としては昨日訪れた「大召」や「席力図召」の方が勝るだろう。観光客の多さと観光客向けに開発された周囲の景観がそれを物語っている。 日本のガイドブックにも「観音寺」は掲載されていない。 けれども入場無料のこの寺院には信心深い地元の人々が多く訪れている。線香も無料で振舞われ、熱心に仏像に対して手を合わせている。

金剛座舎利宝塔


金剛座舎利宝塔

 「金剛座舎利宝塔」は遠目からみるとブロックを積み重ねてできた5つの尖塔が印象的な高さ13メートルほどの建物だ。 1700年代に創建されたとされ、別名「五塔寺」とも呼ばれる。しかし近づいてみるとようやくわかるが、 壁の隅々まで仏像が描かれ、ため息が出るほどの細かさでその芸術性の高さに驚かされる。 四大天王像に囲まれた正面上部にはモンゴル語、チベット語、漢字の3つの言語で書かれた額が掲げられたいる。 外壁にはめ込まれた天文図はモンゴル族の営みを伝える貴重な資料として研究の対象となっている。

清公主府


清公主府

 清公主府はフフホト市街のやや北の郊外に位置する、「和硕恪靖(フーシュオクージン)」と呼ばれる清代の皇女の住居跡。 フーシュオクージンは中国史上最高の名君の誉れ高い清の第四皇帝「康熙帝(1654-1722)」の六女。 モンゴル族の豪族に嫁ぎ、夫は早世するもこの住居で生活し続けた。1万8千平方メートルの敷地に保存状態よく家屋が建ち並んでいる。 現在はフフホト市博物館として利用されており、衣服や陶器などの生活用品、家具、嫁入り時を描いた絵などが展示されている。

(後半に続く)

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