シルクロード コラム 甘粛省東部石窟めぐり (2018/4/5−2018/4/7)


雲崖寺石窟

 西安に住むようになり早3年。これまで西北地方を中心に多くの場所を巡ってきた。 主要な場所であればほとんど行き尽くし、こちらの旅コラムコーナーに掲載させていただいているだけでも記事の数は20を超えた。
 なかでもわたしの思い入れの深いのは「石窟」と呼ばれる仏教にまつわる遺跡群で、山の岩肌に洞窟を仏像や壁画を供えたものだ。 時代によって規模や作風が異なり、シルクロードから仏教が紀元後に伝えられて以降、中国で様々な形で仏教文化が花開いたことが、石窟を見ていると感じられるのだ。
 2011年に敦煌の莫高窟を訪れて以来、時間を見つけてはシルクロードに点在する様々な石窟を見て周った。 日本での生活を切り上げて西安に住まいを移したのも石窟巡りをするためと言っても大げさではない。 わたしのちょっとしたライフワークであり、日本人でこんなに多くの石窟を訪れたのはそういないのでは、と自負もしていた。
 そんな時、2017年秋に発売された「地球の歩き方 西安・敦煌・ウルムチ」の特集を見て驚いた。 わたしが今まで存在を知らなかった石窟がいくつも紹介されているではないか。驚きのために「こんなところがアッたんだ」と思わず声が裏返ってしまった。
 プライドをズタズタに切り裂かれたわたし(嘘)は、虎視眈々とチャンスを伺い、清明節の連休に狙いを定め旅支度を始めたのである。

2018/4/5 一日目


長武駅のホーム

朝6時半の列車で泾川(ジンセン)へ

 3月初めの立春を過ぎてから西安はみるみると暖かくなり、下旬になると日中は半袖一枚で過ごせるようになった。 けれども予報によると5日からの清明節の連休はぐっと気温が下がるらしい。とりわけ目的地である甘粛省東部の地域は山あいで気温も下がりやすいだろうから、服装には注意が必要だ。
 朝5時に起床。身支度を整えて西安駅に向かう。あいにくの雨。予報では気温は下がるものの雨マークはなかったのでいずれ止むはずだ。 傘を持って荷物を増やしたくないので上着のフードをかぶり外に出た。西安駅の混雑はそれほどでもない。 定刻に列車は到着し、ほぼ定刻通りの6時35分に発車した。目的地の甘粛省平涼市の郊外の県「泾川(ジンセン)」には10時半頃の到着になる。 わたしは座席に腰掛け頭を窓際の壁にもたせかけながらウツラウツラと浅い眠りについた。
 9時頃「長武」駅に到着。予定よりだいぶ早く到着したらしく、本来なら5分ほど停車して出発するところをこの駅で30分停車するらしい。 このアバウトさを日本人は少し見習ってもいいのでは。大勢の男性がプラットホームでタバコを吸っている。わたしも外に出て写真を何枚か撮った。 雲が出て少し肌寒いが雨はやんでいる。長武は陝西省咸陽市に所在する県だ。ここを過ぎると甘粛省に入る。 甘粛省は豊かさで言えば中国の中で下から数えた方が早い、貧困地域の多い場所だ。 緑が少なくなり土の色がむき出しになった地形が目立ち、車窓から見える農村の家屋も土で建てられたような大地の色と同化したものが少なくない。 砂ほこりの立ちやすそうな土地は作物の実りも少なそうに感じる。わたしがこれから訪れるところはそういうところなのである。

「泾川(ジンセン)」に到着


山の頂上から泾川の街を見下ろす

饸饹(ハーラー)。もちもちした食感をしている

 定刻通り10時半に「泾川」駅に到着。降りる人の数は決して少なくない。都市で働いている人たちが清明節の連休を利用して実家に帰るのだろう。 駅前では白タクの運転手が声を張り上げて客引きをしている。 中国の鉄道駅の風物詩である。駅前の道を少し歩くと路線バスが停まっていたので、バスターミナルに行くかどうか尋ね、行くというので乗車した。
 バスターミナルで降り、まずは明日の移動のための切符を買うことにした。明日は東に150キロほど離れた「庄浪」という町に向かう。 庄浪に行くバスがあるか分からないまま泾川まで来てしまったが、バスはあるということで早速切符を購入し翌日に備える。 もし庄浪へのバスが発着していなかったらどうするかって?その時はその時で何とかなるのです。多分。  
 ついでに今日の目的地に行くための路線バスがどこから発車するかも尋ねた後、腹ごしらえをすることに。 今日はまだ何も口にしていないのである。バスターミナル付近の店に入り「饸饹(ハーラー)」を注文。 日本そばに似た見た目と風味が特徴の麺で、西北地方を中心に食されるこの地方の名物のひとつだ。 もっちりした食感が心地よい。スープはダシがよく出ており一口すする度に身体が温まっていくのを感じる。

羅漢洞村へ


羅漢洞村。埃っぽい

 バスターミナルから少し離れた交差点にバスが数台停まっている。ここから目的地である「羅漢洞石窟」を通るバスが発車するようだ。 半数以上の座席が埋まっており、わたしが乗りこんでしばらくして満席になり、それと同時に運転手が乗り込み出発となった。満席になり次第の出発なのだろう。のどかだ。 一方、バス通りには高層マンションが建築中だ。決して大きくない山あいの街にも、都会の発展に影響を受けながら少しずつ開発の波が訪れているようだ。
 バスはしばらくすると街を抜け、先ほど乗ってきた列車の線路沿いを並走するようになった。道路は舗装されているが周囲の畑の土が乾き砂埃が立ちやすくなっている。 いくつかの集落を通り過ぎ、その都度何人かの乗客が降りていく。「羅漢洞村」と書かれた標識を見つけたので、車掌のおばさんに確認をして、村の商店街で停めてもらった。
 さて、目的の羅漢洞石窟はどこにあるのか。観光地化はされていないのか看板も見かけない。 インターネットでも有力な情報は得られなかったため、ミネラルウォーターを買いに売店に立ち寄ったついでに尋ねてみたが、店のおばさんはそんなものは知らないという。 「南石窟寺」なら近くにあるけど羅漢洞石窟なんて聞いたことがないとの事。南石窟寺はこの後訪れる予定の場所だ。 道を歩く2、3人にも尋ね、方言がきつく何を話しているのか全く分からなかったが、表情と身振りで知らないという様子が伝わってきた。 地元の人にも知られていない場所では仕方がない、羅漢洞石窟へ行くのは諦めて次の目的地「丈八寺石窟」に向かうことにした。やれやれ、一人旅はつらいよ。

丈八寺石窟


「泾河」の元をたどれば黄河にたどり着く

丈八寺石窟1

丈八寺石窟2 不気味な顔

 羅漢洞村の商店街の真ん中辺りに北へ伸びる道がある。道路の舗装工事をしており足元に気をつけながら進むとやがて川が見えてきた。 「泾河(ジンハー)」である。流れる水の色は黄色く濁っており、黄河を彷彿させる。泾河は黄河の支流である「渭河(ウェイハー)」の支流なのだ。 水量は黄河の比ではないが、中国西北地方らしい雰囲気を十分に感じさせる。道のかたわらの畑には菜の花が植えられており、ちょうどその花を満開に咲かせている。
   川を渡り西へ3キロほどの道のりを歩いていると右側に「丈八寺石窟」の石碑が現れた。小山の斜面が掘削され左奥に続いているので入ってみる。 入口の部屋の右の壁に顔が彫られている。仏様の顔だろうか。奥の部屋に進むと明らかに落書きと思われる文字やひっかき傷が刻まれている。 丈八寺といっても実際にお寺があるわけではなく、石碑はあるものの管理している人がいるわけではないようだ。一番奥の部屋に破損が激しいが背の高い仏像がある。 一尺八丈の背丈があり、これが丈八寺の名の由来になっているようだ。約5.5メートルである。唐代の作と推定されているようだが、保存状態が良くないために検証も難しいことだろう。
 他にも部屋があるがいずれも僧房の跡であるらしく(昔は寺院として機能していたのだろう)、見どころはないようなので、これで丈八寺石窟を後にすることにした。

南石窟寺


南石窟寺

 丈八寺石窟を出てさらに西に進む。この道はバスが通っていないため歩かなくてはならない。4キロほど歩いて行くと南石窟寺の看板が見えた。 もうすぐだ。道路脇の空き地に大きな木箱がいくつも置かれている。 ハハァ、ここは養蜂場だな、ここではハチミツが取れるんだ、とのんきな事を考えたが、木箱の周囲を蜂の大軍がブンブン飛んでいるのが見え肝をつぶした。駈け足でその場を走り去った。
 南石窟寺はお寺としての体裁を整えており、門前を入り正面の山の斜面に石窟がある。階段を上り掘削された部屋に入ろうとしたが残念なことに鍵がかかって入れない。 門前に管理室があるが誰もいない。 斜面に彫られた小さな仏像のみ写真に納め、南石窟寺を後にした。北魏の時代(西暦500年代)に造られたということで、仏像の出来をじっくりと確認したかったが残念だ。

王母宮


王母宮

山の頂上には大昔の狼煙台が

 南石窟寺を出て南に進み、泾河を渡って羅漢洞村に向かうバスの通ったバス通りに出た。しばらく待っているとバスがやってきたのでそれに乗り泾川の街に戻った。 街の西側にある山には西王母を祀った「王母宮」がある。その山のふもとに「王母宮石窟」があるという。
 王母宮の山のふもとに石窟があるのだが、悲しいかな現在立ち入り禁止であった。補強工事をしているようだ。 早々に諦めて王母宮の見学をすることに。地元の人たちの散策コースになっているこの道観の歴史は実は古く、前漢の武帝(在位:紀元前141年−紀元前87年)の時代に創建が始まったとされる。 本当ならこれは相当なものだ。周の穆王が西方にある伝説の山「崑崙山」で会った仙女が「西王母」である。西王母は後に崑崙山を出て穆王に会いに来た場所がこの地であるという。 武帝もこの地まで出向き西王母と会ったという。伝説上のお話なので、西王母を祀っている場所は中国各地に他にもある。 しかしこの泾川の王母宮は中国でもっとも古い王母宮なのだそうだ。山の頂上付近には大昔の狼煙台や小さい陵墓があるが、いつの時代のものかはわからなかった。

牛肉の炒め物と角切りの麺


泾川の街

 王母宮の見学を終え宿に向かい、部屋でしばらく休んだあと食事にでかけた。
今日は4カ所の石窟見学を予定していたが、結果として、
・1カ所目(羅漢洞石窟)はたどり着けず
・2カ所目(丈八寺石窟)は無事見学
・3カ所目(南石窟寺)は見学できたもののメインとなる部屋には入れずじまい
・4カ所目(王母宮石窟)は工事中で入れず
となり、戦績としては1勝2敗1引き分けといった感じで、旅の目的としては少し寂しい1日目となってしまった。 けれど、もしも目的地にひとつもたどり着けなければ旅に出た意味はなかったか、と言ったらそれは全く違うのである。 車窓の向こうに広がる見慣れぬ景色や食べ慣れぬ食事も旅の思い出に彩りを与えてくれる。そうしたところにも面白味を見出せば、旅を存分に楽しむことができるのだ。
 宿の近くにある回族の経営する小さな店に入り、羊はあるかと尋ねると今日はないとのこと。代わりに「小炒肉」を注文。牛肉と野菜の炒めものだ。 一見何の変哲もない炒め物だが、西安ではあまり見かけることがない。主食の麺が別の碗に盛られている。これは細長い麺ではなく、四角く切られた平べったい麺だ。 これも西安では見かけないスタイルだ。回族のお店でも所変われば品変わる、シルクロードを旅することで味わえる楽しき経験のひとつだ。

2018/4/6 二日目


雲崖寺国家森林公園 気持ちのよい河原

バスで庄浪へ向かう

翌朝8時半に天水行きのバスに乗る。このバス今日の目的地である「庄浪」のバスターミナルを経由する。出発してしばらくして街を抜け、山の斜面を縫うように進んでいく。 天気がよく、都会と違い空気も澄んでいるので遠くの景色までよく見渡せる。 山あいの小さな盆地になっている場所に畑が広がっていて、時々羊の群れが広い空き地で草を食んでいる。向こう側の山のふもとには小さな住居が固まっている。
 50分ほどでバスは「崇信(チョンシン)」という街のバスターミナルで停車してトイレ休憩があった後、新たに数人の客が乗り込んできて出発。 さらに一時間バスは山道を進み続け、庄浪の街の手前、「雲崖寺国家森林公園」の入口で降ろしてもらった。

雲崖寺国家森林公園


雲崖寺国家森林公園

雲崖寺

 雲崖寺国家森林公園にはわたしのお目当ての雲崖寺石窟がある。まず入口の向かいにある小さな食堂で粮皮(リャンピ)をいただき腹ごしらえ。 西安では同じ読み方をして「涼皮」と書くが、これも所変われば品変わる、といったところか。
 標高が少し高いせいか肌寒い。森林公園内にはダムがあり、山深い中に湖が滔々と水をたたえている。 美しい景色だが、そこに至るまで高い場所にあるダムの斜面を登りきらなくてはならず早くも体力を消耗。 良い運動になります。まあ、入口で少しばかりお金を払えば園内カートでダムの上まで乗せて行ってくれるのだが。
 ダムを過ぎると川沿いに山の桟道を歩く。こちらも結構階段が多く険しいが、リスの姿を見かけたりして心が和む。 やがて桟が尽き地上に降りる。道が2つに分かれており、川沿いにそのまま進む道と、川を渡って向こう岸にある山を登るコースだ。 わたしは澄んだ水の流れる川を渡り、登山を開始した。決して高くない山だが、運動不足の上先ほどダムの斜面を渡ってきた身にはしんどい。 途中に仏殿や僧房があり、見学しながら進んでいく。高くなればなるほどそこから見渡す景色は美しいものになり、それが数少ない励みになる。
 いつ頂上に到達したかわからなかったが、登り始めてから1時間ほどで下山ルートになり、そのふもとに雲崖寺がある。 最近改築が入ったのだろう、装飾の色彩が鮮やかで美しい。仏殿の上部に石窟があるのでじっくりと見学をする。 北魏の時代(386年-534年)に創建が始まった歴史の古い石窟で、規模はそれほど大きくないが、昨日の戦績を思えば十分に満足できるものだ。仏像一体一体に手を合わせ、写真に納める。

紫荊公園


紫荊公園 胡耀邦の石碑

紫荊公園

 雲崖寺国家森林公園を出てバス通りでしばらく待っているとバスがやってきたので乗り込んで庄浪に向かった。昨日の泾川と違いこの庄浪の街には鉄道駅がない。 その分街の規模も小さいだろうと思っていたが、なかなかどうして大きな高層マンションがいくつも建設中だ。 この街に暮らす人々はどんな仕事をしているんだろう?そんなことを想像するのも旅の面白味のひとつだ。
この街からはもうひとつ石窟にアクセスできるのだが、時間的にもう遅いのと、雲崖寺の散策でだいぶ体力を消耗したため諦めることにした。 無理は禁物である。もうおっさんなので。その代わり街をしばらく散策していたら、紫荊(ズージン)公園と書かれた格式高い門を見つけた。 紫荊とは「ハナズオウ」という花の名前である。門の前ではおじいさんたちが将棋を指している。わたしもすぐにこの人たちの仲間入りだ。 小ぶりな山に道教の楼閣がいくつか点在しているようだ。結局また登山をしている。階段を上がった広場には「紫荊公園」と揮毫した立派な石碑が建っており、横に「胡耀邦」と書かれている。 中国共産党の初代総書記である。 後で調べたら1986年に庄浪に視察に訪れているらしい。その時に揮毫したものを石碑にしたのだろう。
 小さな公園と思っていたが、広場の奥にも広い敷地があり、そこにはちょっとした城郭が建てられていて城壁に上って街を一望することもできる。 しかし疲労のためよい景色を見た感動も薄く、早々に退散し宿に向かうことにした。疲労は感情さえ奪うのだ。

羊肉炒麺片を食べる


羊肉炒面片

 宿でひと休みして食事である。簡単なものにしようと思い、「羊肉面」と書いた店に入って「羊肉炒面片(ヤンロウチャオミェンピェン)」を注文。 「面片」とは麺の切れ端みたいな意味で、出てきたものを見ると昨晩食べた小炒肉に付いてきた四角く切った麺と同じものだった。 この地方では麺をこんなふうに切るのがスタンダードなのだろう。
 炒め麺と言っても茹でたての麺を炒めるので、焼きそばよりも焼きうどんに近い。ダシの効いたスープと野菜、羊肉の小間切れと一緒に一気に炒めあげる。

それを熱いうちにフーフーしながら食べる。まずいはずがない。

2018/4/7 三日目


卦台山に向かう道から周囲を見渡す

卦台山遺跡


卦台山遺跡 伏羲を祀った廟1

卦台山遺跡 伏羲を祀った廟2

 翌朝バスターミナルから天水行きのバスに乗る。最終日も好天に恵まれた。青々とした雲ひとつない空と甘粛の黄色い大地が美しいコンストラストを成す。
 天水の街に入る少し前にバスを降ろしてもらった。この近くに「卦台山遺跡」があるのだ。卦台山は中華民族の先祖である「伏羲(ふくぎ)」を祀っている。 伏羲は中国の神話上の人物で、伏羲は中華民族に狩猟を伝え、八卦や楽器を発明したとされる。 また、奥さん(あるいは兄妹ともされる)の「女媧(じょか)」とともに、地上ではじめての男女であると古代中国の神話上では定義づけられている。 ここ天水は伏羲と女媧の故郷とされており、彼らを祀った廟も少なくない。
 バスを降りた場所から卦台山遺跡までは4キロほど。その前に腹ごしらえ。 「渭南鎮」駅という小さな鉄道駅が途中にあり、その駅前にあった漢族の店で「拌面(バン麺)」を食べ、はるか向こうにそびえる山の頂上に見える廟を目指す。 道は少しずつ勾配が急になり、山あいの平地に建つ家屋が一望できるまでの高さになった。 時折バイクや建設現場のトラックが行き交うくらいで喧噪のないのどかな散策であったが、ここにも養蜂場が2、3あったのには閉口した。
 卦台山の伏羲廟は1500年代に創建された歴史ある廟であり、 特筆すべきは卦台山および周辺の場所から5000年以上前ものとされる住居跡や石器、陶器、動物の骨で作った器などが出土しており、 なかには祭祀での使用を目的としたであろう石で出来た男性器なども見つかっている。 これらは中華民族の祖先である「華夏」の人々の暮らしを研究する上で貴重な史料となっている。
 山の頂上にある伏羲廟はこじんまりとして規模は小さいものだが、来るものを寛がせるような、何か安心感を与えてくれるようなところだ。 そして何よりここから見渡す景色が素晴らしい。来てよかったと素直に思えるところだ。

天水駅前でバン麺を食べる


回族の店の「拌面(バンメン)」

 先ほどの「渭南鎮」駅から天水市街に出るバスに乗り、天水の駅前で降りた。 甘粛省第二の都市天水の駅前である。晴天の陽射しの中、道幅の広い通りは人混みでごった返している、、、という様子はなく、そんなに人は多くない。 実は天水駅周辺は所謂旧市街で、新市街は西に10キロ以上離れた所にある。天水は少し変わった街なのだ。
 旅の思い出作りにもう一度何か食べようと思い、回族の店に入って、「拌面(バン麺)」を食べた。 「渭南鎮」駅でも食べたが、ピンとこなかったのである。やっぱり回族の作ったやつじゃないとね。 打ち立ての麺をサッと茹で上げ、高火力でいっきに炒め上げた各種野菜と牛肉をかけたものだ。野菜の色鮮やかさが眩しく、食が進む。

終わりに

 今回は甘粛省東部にある石窟めぐりの旅をした。 インドから中国に仏教がもたらされたのは2000年以上前のことで、以来仏教は中国全土に浸透し、今も人々の生活や考え方に影響を少しずつ与え続けている。 その思いが形となって現れたもののひとつが石窟なのである。 石窟に彫られた仏像を眺めていると、大昔の人々がどういう思いで日々を暮らしていたのか、なんとなくわかりそうな気がしてくるのだ。
 食後、天水駅から15時過ぎの列車で西安に向かった。到着は19時半となる。この3日間歩き通しで疲れが溜まってきていたのか、景色も見ず寝台に横になるとしばらく眠り込んだ。
(終わり)


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