春節の連休を利用して新疆へ。クチャから夜行列車で約7時間。明け方5時前にトルファンに到着した。
北京時間の午前5時というと、新疆では午前3時くらいなので当然ながら辺りは真っ暗で、寒い。
人気もなく、乗り合いタクシーの運転手が数人肩を寄せ合ってタバコを吸っている。
近くの旅館の客引きのおばさんが休んでいけ休んでいけと仕切りに声をかけてくる。
程なくしてスマートフォンに着信が入ってガイドのムハマドさんと連絡がつき、無事に合流することができた。
ムハマドさんとはこの旅行前に連絡を取り合い、トルファンでのガイド兼運転手をお願いしていたのだ。
トルファン駅とトルファン市街は60キロほど離れており、車で1時間以上かかる。
まずはムハマドさんに市街まで送ってもらい、宿にチェックインし、10時に再び待ち合わせることになった。
市街に向かう道すがら、ムハマドさんにトルファンに関する講義を受けた。
トルファン市の人口は約68万人。夏には50度近くまで達する灼熱のオアシスとして知られるが、乾燥しているために日陰に入れば思いのほか涼がとれるという。
この気候を利用した特産物が葡萄だ。夏の高温が葡萄に甘みをたっぷりともたらすのだ。
葡萄を干して作ったドライフルーツの生産も盛んで、新疆のみならず中国のスーパーなどで手に入る葡萄のドライフルーツの多くはトルファン産だそうだ。
また原油の産出量も新疆屈指で、カラマイ、タリム、トルファンが新疆の三大油田として知られている。
10時に宿のロビーでムハマドさんと会い、最初の目的地である高昌故城へ。
漢の時代に砦が築かれたのを始めとして栄えた王国の城趾。敷地は広大で全て見て回るなら数時間はかかるだろう。移動用の電動カートも用意されている。
城のあった跡ということは言われてみればわかるが、ほとんどは朽ちており、王国の名残がわずかながらうかがえるといった具合である。
玄奘三蔵はインドに赴く際この地を通り、高昌国の王に懇願され1ヶ月の間滞在して説法の講義を行った。
ムハマドさんの解説によると、王様からは2ヶ月間滞在の依頼をしたそうだが、
早くインドに行きたい玄奘は閉口し、インドから帰ってくるときにまた寄るから、
と言って1ヶ月ほどで立ち去り、十数年後の帰路の際は、高昌国を迂回して通ったということだ。三蔵法師の人間臭さがなんとなく伝わってくるエピソードだ。
高昌故城から車で10分ほど、アスターナ古墳群に到着する。 ここは高昌国の人々の墓地だそうで、お金持ちから一般の平民まで様々な人の亡骸が埋葬されており、その中のいくつかの墓穴が公開されている。 亡骸はミイラとなって間近で眺めることができる。 お金持ちの墓穴は装飾品や宝物を保管した別室(遺体が安置されている両脇に作られていたことから、「耳室」と呼ばれる)があるのがポイントになっている。 別室のない墓穴は平民のもの、という見分け方ができるそうだ。クチャでの観光同様シーズンオフのため、貸切状態で高昌故城もアスターナ古墳群も見学できた。 ムハマドさんによると、アスターナ古墳群は一度に数人の人しか入れない墓穴の性質上、見学するのにシーズン中は行列ができることも多いという。
アスターナ古墳群からトルファン市街に戻る途中、西遊記でおなじみの火焔山を通過する。
岩肌が燃え盛る炎のように見えるこの山はトルファンの象徴でもある。
ガイドブックによると高さ500メートル、東西に100キロ、南北に10キロにまたがるという。
高さはそれほどでもないが、とにかく広大だ(地上からその広大さを確認する術はないが)。
車を停車して写真撮影をする。入場料を支払えば火焔山に登ることはもちろん、ラクダに乗ったりできるアトラクションも用意されている。
ラクダに乗ってシルクロードを行き交う行商人や三蔵法師の気分にふけってみてもよいだろう。
ムハマドさんは40代で、日本に行ったことがないにも関わらず日本語のレベルはかなりのものだ。
中国にはムハマドさんのように日本に行くことを夢見ながら一生懸命日本語を勉強している人が大勢いる。
そういう人たちに出会い、彼らの流暢な日本語を聞くと頭の下がる思いがする。
ムハマドさんは新疆にやってくる日本人旅行者のガイドだけでなく、
新疆に住むウイグル族や回族の人たちを外国に引率する仕事もしており、先日も10人ほどのツアーに同行し、ドバイまで行ってきたそうだ。
そして4月には日本へのツアーも担当するとのこと。日本に行くことはもう夢ではなくなっているのだ。
トルファン市街に戻り、昼食を食べる。ムハマドさんオススメの店はトルファン博物館の近くにある。
シーズン中は店の外まで行列ができるほどの人気店だそうだ。例によってラグメンとシシカバブを食べる。
新疆に来てから毎日同じものを食っていて、いい加減飽きないか?とお感じの方もいるかもしれない。
しかしラグメンと一口で言っても麺の上にかける炒め物は様々な種類があり、お店によってもその味わいは少しずつ異なるのである。
また何より麺がつるつるとした喉越しで心地よい。麺の食感と炒め物の絶妙なマッチングが病みつきにさせるのである。
シシカバブについても言わずもがな、羊の素材の味が生きており、毎日食べても決して飽きることはない。
ムハマドさんにクチャでの観光について聞かれたので、撮影した写真を見せながら説明した。
クチャで2度訪れた食堂の気のいい老板の写真も見せた。
ムハマドさんによると、この老板はアクス地方(クチャはアクス市に属する県)に住むウイグル族特有の顔つきをしているのだそうだ。
なるほどこの老板とムハマドさんは顔つきが違う。クチャの老板はヨーロッパ風の顔つきで、ムハマドさんはアジアっぽい。
今日のウイグル族は中央アジアを中心に居住する民族として知られているため、中東、
もしくはヨーロッパ風な顔つきの人々をイメージするが、もともとウイグル族はモンゴル周辺に居住していた部族をルーツとしている。
アジア風な顔つきの人がいるのも自然なことだろう。
昼食後、市街西部にある交河故城へ。川の中州のような地形の場所にある城趾遺跡である。南北に1キロ、東西に300メートルの敷地に居住区や仏教の寺院跡がある。 高昌故城と比べ保存状態がよく、仏塔や権力者の執務室の様子などを確認することができる。 午前中は太陽が雲に隠れていたが、午後になって雲が消え、気持ちのよい青空になった。交河故城は高台にあるため周囲の景色を一望でき、とても眺めがよい。 現存する遺跡は唐代以降に建てられたものだそうだ。1500年以上前の広大な遺跡群に囲まれ、悠久の歴史に思いを馳せるのはとても贅沢な気分だ。
夕方、ムハマドさんに宿まで送ってもらい別れた。明日はひとりで市街観光をするつもりだったが、ムハマドさんにアイディン湖に行ってみないかと誘われた。
市街からそれほど遠くない場所にあるそうなので、せっかくなので行ってみることにした。
宿でひと休みした後、ひとりでバザールへ。
トルファン市街の北側が漢族の居住区で、このバザールやウイグル族の食堂などがある南側がウイグル族の居住区と考えればいいようだ。
クチャの市場では春節の閑散さを感じたが、こちらのバザールは活気がある。夕方で食事の準備の買い出しをする人が多いせいもあるだろう。
バザールの入り口ではナン、果物、お惣菜を売る露店を出しており賑わっている。バザールの中に入ると様々な店が軒を連ねている。
ムスリムの人がかぶる帽子や衣服、絨毯、陶器を売る店など様々だ。もちろん食堂もある。せっかくなので陶器を売る店でティーカップを記念に買った。
夕食はムハマドさんに教えてもらった少し高級なレストランへ。
ガイドブックに「ナレン」という料理があって食べてみたかったが、普通の食堂ではあまり出されないメニューだそうで、
どこなら食べられるかムハマドさんに聞いておいたのだ。メニューを見るとなるほど今まで食事をした食堂の価格とは一線を画するものだ。
ナレンを探したが見当たらなかったので、店員にガイドブックの写真を見せると、これですよと言って教えてくれた。それほど高いものではなかったので安心して注文。
ナレンとは、羊肉や麺を角切りにしたものが入っているスープのことである。まったくしつこくなく、上品で食べやすく美味しかった。
昨晩ムハマドさんから連絡があり、お母さんを隣のピチャン県まで送らなくてはならなくなり、代打でハサンさんを迎えに行かせますということであった。
ハサンさんはガイドではないが日本語も上手で心配いらないということだ。その後早速ハサンさんと連絡をとり、10時に宿まで迎えに来てもらうこととなった。
昨日バザールでナンとウイグル族が毎朝飲むというナイ茶の素を買ったので、
これとクチャで買っておいた葡萄のドライフルーツ(ムハマドさんに「これトルファン産ですよ」と笑われた)を朝食にすることにした。
ナイ茶の素は、要は脱脂粉乳のようなものだろう。パッケージにクルミの絵が描かれているので、クルミの風味も味付けされているのかもしれない。
本当は牛や羊のミルクがあればいいのだが、贅沢は言わない。
ウイグル族はミルクにお茶の葉を入れ、それを鍋で煮炊いたものを飲むそうである。
ちょうど部屋にお茶の葉と電気ポットがあったので、湯を沸かして、ナイ茶の素とお茶の葉を入れておいた湯飲みに湯を注ぐ。これで出来上がりだ。上等だろう。
ミルクのまろやかさとお茶の渋みがなかなか合う。千切ったナンをナイ茶に浸して食べる。ドライフルーツもつまみながら。
10時になったので宿をチェックアウトし、外に出てハサンさんと合流する。
ハサンさんはムハマドさんと同い年で、トルファン市内の観光名所カレーズ楽園の隣に住んでいるそうだ。
シーズンになると自宅に観光客を招いて食事をふるまったりお土産屋さんをやったりして、かなり忙しいとのこと。
シーズンオフはタクシーの運転手をしている。したがって今日はタクシーで迎えにきてもらった。
人懐っこく笑うのが印象的だ。日本語を勉強するのに学校に通ったのは3ヶ月ほどだけだそうだが、驚くほど上手い。
「自宅を訪れる日本人観光客を相手に勉強していきました」と言ってハサンさんは笑ったが、たいしたものである。
まったく頭の下がる思いだ。
数年前にNHKの撮影でタレントの速水もこみちがハサンさんの家に訪れたことがあるそうで、その当時のことを得意そうに話してくれた。
冗談で「わたしもよく速水もこみちに似ていると言われるんですよ」と言うと、ハサンさんは急に険しい顔つきになってしまった。
アイディン湖はトルファン市街から南へ車で40分ほどの場所にある。街を出ていくつかの集落を過ぎると周囲はゴビ灘だけの荒野になる。 地平線が空と地面を別けている。やがて道の両脇に湿地帯が姿を現し始めた。 水は全て凍っている。車内の気温表示を見ると現在外は2、3度のようだ。 写真を撮るために停車して外に出ると、風がありとても寒い。湿地帯の水は波打ったそのままの状態で凍てついている。 不思議なものだ。アイディン湖の駐車場に到着し、周囲を見て回る。 中国で最も低い場所であることを示す石碑は離れた場所にあるため、レンタルサイクルに乗って石碑を見に行く。 世界で一番低い場所はヨルダンの死海で、このアイディン湖は世界で2番目のはずなのだが、石碑には世界で最も低い場所の意味の文字が刻まれていた。 どうなっているのだろうか。石碑から戻り、再びしばらく散策をする。他の観光客はスケートシューズやソリをレンタルして氷の湖でスケートなどをして楽しんでいる。 私は逆に凍っていない場所を探す。 湖の水を舐めてみたいからだ。アイディン湖は塩湖なのである。氷の表面が溶けて水のせせらぎが聞こえてくる場所を見つけて水を舐めてみた。 なるほどしょっぱい。これもまた不思議なものだ。戻るときにぬかるみに足を取られて靴を泥まみれにしてしまい、車の中で待っていたハサンさんに笑われてしまった。
トルファン市内の観光名所のひとつに蘇公塔がある。アイディン湖から市街に戻る途中にあるので立ち寄った。 1779年に当時トルファンを治めていた王が建てた塔で、円柱が頂上に近くにつれて細くなっている形状と、表面に刻まれた細かい彫刻が印象的だ。 塔の横には広々としたモスクがあり、観光客も見学することができる。周囲には王族のものと思われるお墓もある。 敷地の外では観光地によくあるお土産を売る露店がいくつかあったが、ウイグル族が大仏の人形や念仏の書いた冊子などを売っていた。 ムスリムが仏教関連の品物を商いして怒られたりしないのだろうか。そもそもここで大仏様の人形を買う人がいるのだろうか。
ハサンさんにドライフルーツが安く買える卸売市場のような場所があるかどうか聞いてみると、
ドライフルーツならうちでも売ってるから、一袋あげますよ、と言ってご自宅に連れて行ってもらった。
どうも要求をしてしまったような形になり申し訳ない。家の鍵を奥さんが持っていて、
奥さんたちは今お兄さんの経営している自動車修理工場にいるため先にそちらへ立ち寄って奥さんとお子さん二人、
そしてハサンさんのお母さんを乗せてご自宅まで。お母さんはご高齢だが、私が挨拶をしたらお辞儀をしてくれた。
日本人観光客を何度も家に招いている経験があるので日本人の所作もよくご存知なのかもしれない。
ご自宅に到着して入口の門を開けると広々とした庭の奥に平屋建ての家が見える。
脇には2階建ての小さな建物があるが、こちらは現在は使用しておらず倉庫のような感じになっていた。
ナンを焼く釜もある。家の裏は葡萄畑になっている。
家の中に入るとリビングがあり、一段高くなった10畳ほどの場所に絨毯が敷いてあり、そこにテーブルを置いて食事をしたり布団を敷いて寝たりするそうだ。
椅子やベッドを使わないのは昔の日本と同じである。
裏の葡萄畑には苗木はなかった。思い出してみると今まで幾度となく通りかかった葡萄畑にも苗木は見られなかった。
聞くと冬の間は苗に土を被せて埋めておくのだそうだ。そうしないと冬の間に枯れてしまうのである。自宅の前や葡萄畑の脇には澄んだ水の流れる水路がある。
冬場は水が温かいんですよ、触ってみてくださいとハサンさんに言われて触ってみると確かに温かい。
逆に夏になると水は冷たくなる。これがカレーズの特徴なのだそうだ。カレーズ楽園のカレーズとは、地下水を利用したオアシスのことなのである。
ご家族に挨拶をして、ドライフルーツもたくさんいただいてしまい、ハサンさんの家を後にした。
市街に戻り、トルファン博物館まで送ってもらい、ハサンさんと別れた。私が降りてすぐ男性が車に乗り込んだ。タクシー業務の再開だ。
トルファン博物館に入り、始めの展示はトルファン周辺から出土した唐時代以降に制作されたと考えられる陶器製品や絵画などである。
この頃には中華の覇権が新疆まで伸びていたことを伺わせる。そして当然ながら、この頃の作品には仏教の影響を受けたものが多い。
当地にはすでにウイグル族が暮らしていたが、高昌故城や交河故城に遺された仏教関連の施設があることからわかるように、彼らも始めは仏教徒だったのである。
展示は恐竜の化石、アスターナ古墳群に見られたようなミイラの展示と続いていく。
トルファンは決して大きな街ではないが、それでも博物館は立派な佇まいをしているし、展示内容も充実していて見応えがある。
フロアがまだあるので今度は何の展示だろうと思って入ってみると、共産党の展示であった。新疆の博物館にも共産党賛美の展示フロアがあるのだ。
戦時中共産党がどのように抗日戦争を戦い、新疆に平和をもたらしたであるとか、新疆の文化水準の発展へどのように寄与したかなど、熱い指導に関する展示がされている。
毛沢東や周恩来が新疆を訪れてウイグル族と談笑している写真や、現在の指導者層が新疆を訪れた時の写真など、
近代から現代にかけての中国史に関心のある人には興味を惹かれる展示もある。
帰りの列車までまだ時間があるため、バザールに行って何か食べることにした。 まだ夕食には早いため食堂街に人気はない。 食べたことのないものを食べようと思い、幅広の器にカットされた羊肉とナンが入れて店先に並べられているので、これを指し示して値段を確認してから注文した。 ウイグル語でいくらですかと聞きたい時は、「レチプゥ?」と言えばよい。 中に入って出されたお茶を飲んでしばらくすると、注文したものが運ばれてきた。羊肉とナンの入った器に熱いスープが注がれている。 肉とナンをこのスープでほぐしながらいただくようだ。スープは肉や野菜でダシをとっているのだろう、食欲をそそるよい香りがして味わいがある。 後でムハマドさんに写真を送ったところ、「タワ・カップ」という名前の料理だと教えてくれた。
腹ごしらえをした後、トルファン北駅に向かった。さようならトルファン。 車で1時間以上かかるトルファン駅と違い、北駅は数年前にできた新しい駅で、市街から15分ほどのところにある。 広々として清潔感のある駅舎に入り、売店でもひやかすかと思って売店に入ると飲料コーナーの棚に缶ビールが置いてあるのを見つけて無意識のうちに手にとってしまった。 煩悩には勝てない。椅子に腰掛けてビールを飲みながら列車を待つ。 旅はまだ終わりではない。これから西安まで25時間の列車の旅が待っているのだ。さようならトルファン。
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