一昨年の国慶節に甘粛省の主要都市を巡り、シルクロードの雰囲気をたっぷりと味わった。
甘粛省のさらにその先の新疆ウイグル自治区には人種的に「テュルク」と分類されるウイグル族が居住しており、
わたしたちが普段イメージする中国とは異なった文化が旅行者に不思議な魅力を与え続けている。
今回の旅は春節(旧正月)の一週間の連休を利用し、
新疆ウイグル自治区の首府ウルムチを経由し、仏典漢訳の第一人者である鳩摩羅什(クマラジュウ)の故郷「クチャ」、
西遊記に登場する火焔山で有名な「トルファン」を訪れる旅を計画。本来は緑豊かな季節に旅するのがベストだが、なかなか気軽に行ける場所ではない。
チャンスのあるうちに行かないと次回いつそのチャンスが訪れるかわからない。これもひとつの縁なのだ。
CAさんの「そろそろウルムチ空港に到着いたします」とのアナウンスがあり、しばらくして窓から外を見てもまだ一面真っ白い雲。
なかなか時間がかかるなと思っていたら突然着陸の衝撃。驚いてもう一度外を見るとそれは雲ではなく、
雪の白であった。凍てついた滑走路の脇には雪がうず高く積もっている。
雪はやんでからしばらく経っているようで、空港の外にはそれほど積雪は見当たらないが、やはり寒い。北国の生活の経験がない者には氷点下数度でもなかなかこたえる。
時刻は15時。明日朝にはクチャへ向かう。ウルムチでの目的は新疆ウイグル自治区博物館である。
有名な楼蘭美女と呼ばれるミイラが展示されているのだ。
小説「敦煌」の著者井上靖はかつて当博物館を訪れた際、このミイラについて博物館のガイドを長時間質問攻めにし、
同行していた司馬遼太郎を閉口させたというエピソードがある。しかし残念ながら本日は除夕の祝日のため休館。仕方がないので宿に向かい、
チェックイン後に街を散策することに。宿の老板が「今夜は食堂で大晦日のパーティをするからよかったら参加してくれ。わかるか?
ハッピーニューイヤーだよ」と食事に誘われたので、お言葉に甘えて伺うことにした。
やはり旧正月を盛大に祝う習慣のため、街のほとんどのお店は閉まっている。コンビニや大きなデパート、
あるいは回族やウイグル族の食堂がほんのいくつか店を開けているといった感じだ。
少し寂しいが、このような様子を見ることができるのも貴重なものだ。旅ではこのように気持ちの切り替えをうまくしていかないといけない。
宿に戻り食堂に行くと、テーブルに料理がすでに並べられていた。参加するのはわたしを含めて4人だけであった。
新疆北部アルタイの人、湖北省武漢の人、韓国からの留学生、
そして日本人のわたしという面白い取り合わせでアットホームな食事会となり、食事の後には、近くのお寺に初詣に連れていってもらった。
翌朝、老板にお礼を言ってチェックアウトし、ウルムチ空港へ。フライト時間は1時間。正午過ぎにクチャ空港に到着。幸いなことにクチャはウルムチほど寒くない。
雪も降っていない。空港の到着ロビーで今日、明日と宿泊予定のクチャ飯店の無料送迎バスが発着していることを発見。素晴らしい。
他の客が来るかもしれないのでしばらく待っていてくれと言われ、椅子に座って待つことに。
機内で見かけたウイグル族の老夫婦が到着口に現れると、待っていた家族であろう集団が声を上げて老夫婦を迎えている。
老夫婦の女性の方は無事に到着したことの安堵と家族との再会の喜びからか、涙を流している。
孫くらいの女の子が泣いているおばあちゃんの手をひいてベンチに座らせる。わたしは送迎の男性に促され、空港を出た。
送迎の中型バスに乗客は結局わたしひとりだけであった。クチャ飯店はクチャの街の中心部から少しはずれた所にある。
チェックイン後、近くのウイグルレストラン(食堂と呼ぶには少し格式高い。店員も制服を着ていた)で「ラグメン」を注文した。
麺とソースが別々に運ばれてきた。本格風の味が期待できるものだ。
ソースはピーマン、タマネギ、きのこ、ニンニクの芽などの野菜と羊肉がトマトベースで炒められたものだ。
麺にソースをかけ、よく混ぜていただく。麺はうどんを少し縮れさせたような感じで、つるつるしたのど越しでどんどん入っていく。
うまい。羊肉の脂身が口の中でトロリととろけていくのが心地よい。テーブルにはお茶が供されている。紅茶だ。
シルクロードが少しずつヨーロッパに近づきつつあることが食事でも実感できる。ラグメンもパスタを食べる感覚によく似ている。
レストランを出て街の散策へ。「天山中路」と「解放路」の交わる十字路の付近がクチャでもっとも賑わいのある界隈だ。
飲食店など様々なお店が軒を連ねる「歩行街」がとくにウイグル族で賑わっている。漢族の姿は全くと言っていいほど見られない。
ナンを焼いている店、ナン生地に羊のひき肉や野菜を餡にして窯で焼いた「サモサ」、ウイグルの女性がよく頭に身に着けているスカーフを売る店など、
商店もみなウイグル族向けの店舗だ。ウイグル族の人たちは彫りの深い欧米人のような顔立ちの人が多い。
女性では眉の太い人が多い気がする。女性は多くが頭にスカーフを巻いて髪を隠している。男性では中高年になるほど口ひげやあごひげをたくわえる人が多いようだ。
商店から流れてくる音楽は、ヨーロッパ調な音楽と言うよりは、中東やアラブで壺の中からコブラが出てきそうな調子の音色だ。いずれにせよ、もうここは中国ではない。
中国と呼ぶには無理があるのではないか?そもそもなぜこの地域が中国に・・・
という話しをしたいために新疆に来たのではないし、ちょっとここいらでサモサでも買い食いしてみよう。
サモサは食べ歩きするにもちょうどよい大きさなのである。日本の肉屋で揚げたてのコロッケやメンチカツを買い食いする感覚に似ている。
窯から上げたてのをもらった。焦げがいたるところに付いているが、そんなことを嫌がっていては新疆を楽しむことはできない。
気にせずひと口かじる。羊肉特有の匂いが広がる。この匂いはクセになるのだ。
日本ではこの匂いを嫌がって匂いの少ないラム肉を有難がるが、羊肉のうまさがわからない日本人が実に多いことか。
街の通りにはサモサを焼く窯が必ずひとつやふたつあり、ウイグル族が一度に何個も買って帰る。彼らの生活と切っても切り離せない日常食なのだろう。
羊肉の他に野菜のみじん切りが入ったサモサもある。
クチャの中心地から西へ車で10分ほどの場所にある「杏花園」と呼ばれる公園へ出かけた。
敷地内には小規模な遊園地や簡易スキー場があり、地元の人たちの憩いの場となっている。
観光客向けの場所ではないのだが、ガイドブックに載っていた鳩摩羅什の像があるのがこの公園なのだ。
鳩摩羅什は4世紀後半、かつてクチャに亀茲国があった時代の仏僧だ。教典を携えて長安に向かう途中、
現在の甘粛省武威で16年間の軟禁下に置かれた末長安にたどり着き、現在の西安の南、戸県にある草堂寺にて教典の翻訳を行った。
玄奘三蔵と並ぶ仏教伝搬の功労者のひとりである。ガイドブックの写真は緑豊かなオアシスの雰囲気があったが、
実際に着いてみてみると、緑は一切なく立ち枯れた木々の間に鳩摩羅什の銅像がたたずんでいた。
今は冬なので草花が咲きこぼれる季節とは程遠いとはわかっていたものの、少し寂しかった。
再び賑わいのある界隈に戻って、今度は青果市場を見学。
ドライフルーツや野菜、ナン、が所狭しと並び、精肉店では羊や牛の肉がブロックの状態で天井から伸びる金具で吊り下げられている。
市場の奥には食事をするスペースがあり、羊の様々な部位の串焼きが並べられている。
見るからにうまそうだ。新疆以外のシルクロードの街でも目にすることができる「涼皮」
(でんぷん質の麺に辛いタレをかけ、もやしや油揚げの細切りとあえたもの)のお店もある。
豚肉を使わないという点でムスリムの人々にも受け入れられやすいのだろう。
あるいはムスリムが発明して漢族に伝わったのかもしれない。
頃合いよく夕食の時間になったので、市場の裏手にある食堂のひしめく通りへ。
店先で羊肉の串焼きを焼く男たちが威勢よく声をかけてくる。どの店もうまそうだ。
適当に選んだ一軒に入り、おじさんにメニューを見せてくれと頼むと、メニューはないと言う。
これは気をつけないといけない。入口に写真つきの看板があったのでそこで値段を聞いてから選ぶことに。
写真の中から細切れの麺が面白そうだったので、これをチョイス。
さらに店先ではせいろで何かを蒸していたので何か聞いてみると、やはり「包子」であった。羊肉の肉まんである。
これと羊肉の串焼き(シシカバブ)を頼み、着席。それぞれの値段も良心的なもので、メニューがないだけで身構えてしまった自分が少し恥ずかしい。
羊肉の肉まんは蒸したことで臭みが飛ぶのだろうか、あっさりして食べやすい反面、羊肉を食べるにはちょっと物足りない気もする。
シシカバブはひと串ごとの肉が大きく、ボリューム満点だ。麺は細かく切って、羊肉と野菜と一緒にトマトベースのスープで炒めたものだ。
昼に食べたラグメンの麺を細かく切ってソースと一緒に炒めたと言うと乱暴だろうか。ウイグル族の麺料理はトマトベースが基本のようだ。
店の老板のおじさんはわたしが日本人と聞くと驚いていたが、これからどこに行くんだ?日本にもモスクはあるか?ない?いやあるよ!
おれは知っているよ、オークボというところにあるんだ!など日本に関心を示していた。おじさん「大久保」なんてよく知っているな。
今日はクチャ郊外を観光する。9時半に運転手の朱さんと待ち合わせる。
朱さんは50代の漢族の男性で、生まれも育ちもクチャの、言わばクチャっ子である。
朱さんはウイグル語も堪能である。聞けば新疆の学校ではウイグル語の授業があるのだそうだ。
最初の目的地は「スバシ故城」。亀茲国最大の仏教寺院跡とされており、世界文化遺産「シルクロード : 長安=天山回廊の交易路網」に登録されている。
午前10時に到着したが、入口の門はカギがかかっている。
朱さんと2人で鉄の門をガンガンと叩くこと数分、ようやく入口奥の建物から管理人らしきおじさんが出てきた。
まだ寝ていたのだろうか。新疆時間でももう8時なのだが。結構寒いのにおじさんはサンダル履きである。
何かぶつぶつ言っている。わたしに入場券を手渡すと「木の板から降りないでね」と言い残してまた建物の中に入っていった。
スバシ故城は東寺、西寺の2つの区域に分かれており、現在東寺は見学できない。
故城と言っても、そう言われればそうだったのかな、と思うくらい城のおもかげは薄い。
大昔の街の廃墟という印象だ。土を固めて造られた建物のあとが千年以上前に多くの人々がここで生活していたことをしのばせる。
遠くにはチェルターグ山と呼ばれる山脈がそびえる。亀茲の人々はどんな事を考えて生活していたのだろうか。
次の目的地であるキジル千仏洞を訪れる途中で塩水渓谷と呼ばれる場所に立ち寄った。塩分濃度の高い水の流れる川のある渓谷で、景色もなかなかよい。
あいにくこの季節なので川の水は凍っていたが、少しだけ表面の氷が解けている場所を見つけ、手ですくって舐めてみたが、なるほどしょっぱかった。
キジル千仏洞は200年代後半から1000年代まで開削が行われたとされ、スバシ故城と同じく世界文化遺産に登録されている。
入口から石窟まで徒歩10分ほどかかる。石窟の正面の広場には鳩摩羅什の像がある。
この場所はガイドブックによく写真が掲載されているので、思い当たる人も多いだろう。
石窟に到着するとウイグル族の女性が待っており、日本人?中国語はわかるか、などと聞いてくる。
このまま着いてきて、後からガイド料を請求されたりするのだろうか。
ここははっきりと断った方がいいだろうか、などと考えていたら、彼女はハンドバックから鍵を取り出して石窟の部屋の鍵を開け始めたではないか。
彼女は石窟の各部屋の鍵を預かる責任者のひとりだったのだ。昨日のメニューのない食堂に続いて、またウイグル族を疑ってしまった。
かれこれ中国で生活を始めて2年になるが、学んだのは自分を守ることではなく人を疑うことだった。
ちょっと自分の胸に手を当ててこれまでの行いを省みるべきかもしれない。アラーの神もお怒りかもしれぬ。
キジル千仏洞の最上階まで上がったところから眺める景色は素晴らしい。新疆に来た甲斐があったという感じの景色である。
当石窟には全部で237の部屋があるそうだが、見学できるのはそのうちのいくつかである。
多くの部屋の内部は破壊されて原形がどのようなものだったかうかがい知ることは難しい。
後世に現れたイスラム教徒が破壊したとされているが、文革の際に破壊されたものもあるのではないかと思う。
追加料金を支払えば他の部屋も見学できるそうだが、ちょっとそんな予算もないし、あきらめてウイグル族の女性にお礼を言ってキジル千仏洞を後にした。
時刻は北京時間の15時過ぎ。昼食も取れず、後はクチャの街に戻るだけであるが、わたしが空腹であることを知ってか、
朱さんは車を停車させトランクから麻花を出してわたしにくれた。麻花は揚げ菓子の一種である。ウイグル族の友達から春節前にもらったのだそうだ。
朱さんによるとウイグル族も麻花を作る習慣があり、彼らの麻花は砂糖をたっぷりまぶすのが特徴だという。
揚げたての食パンの耳に砂糖をたっぷりまぶして売っていたパン屋が子供のころあったのを思い出し、懐かしい気がした。
朱さんと別れてから宿で一休みし、また街に出てシシカバブとラグメンを食べた。
旅に出るとご当地のお酒を飲みながら食事をするのが楽しみのひとつだが、ムスリムであるウイグル族の多く住まう地区ではやはり酒を出す食堂はないようだ。
観光客向けのレストランにはあるようだが、一人旅には敷居が高い。
香ばしく焼けた羊肉とビールは最高の取り合わせだと思うが、贅沢は言えぬ。ここは郷に入っては郷に従う精神で禁酒の旅という格好になっている。
明日は一人でクチャの街を散策し、夜の列車でトルファンに向かう。
今日は時間的に余裕があるので午前中は宿の部屋でゆっくりし、昼過ぎにチェックアウトした。 昼食に羊肉の入ったワンタンを食べた後、市街西部にあるクチャ王府に向かった。 両脇にウイグル族の経営する商店が立ち並ぶ道を行く。 歩道に等間隔に立っている木々に今は葉はないが、春になれば緑鮮やかに色づいがて行き交う人々の目を楽しませてくれるに違いない。 そんなことを想像させてくれる道だ。この道の突き当たりにクチャ王府がある。 クチャを代々納めてきた王族の暮らしていた場所で、この王族に関する歴史博物館が主な見所だ。 最後の王位継承者の男性は2007年頃まで存命で、 彼と大勢の血縁者たちとの記念写真や中国政府の重鎮たちとの写真などで見ることのできる彼の堂々とした佇まいに王族の誇りを感じとることができる。 園内の端には彼のお墓や清の時代に建てられた長城もあるのでせっかくなので見逃さないようにしたい。 ただシーズンオフのせいか、園内は雑然としており掃除も行き届いていない様子だ。もう少しどうにかならないものか。
クチャ王府を出て、来た道を途中で左に曲がって住宅街に入り、またしばらく歩いたところにクチャ大寺がある。
このクチャ大寺に向かうまでの住宅街も、漢族のそれとは異なり、ウイグル族の居住区ならではの風情があって実によい。
このあたりには漢族の姿はなくウイグル族しかいない。歩いているとすれ違うウイグル族が珍しそうに(訝しげに、といった方が正しいか)こちらを眺めている。
商店の軒先に吊るされている古いスピーカーから男性の声が一定の間隔で流れてくる。イスラムのお祈りの文句だろうか。
クチャ大寺は入口だけ写真に納め、中には入らなかった。
扉がしまっていたし、付近に人がおらず中に入っていいものかどうかわからなかった。
仏教寺院ならばなんとなく入ってもいいかなという気がするが、どうもイスラム寺院は勝手がわからない。まあ入口まで辿り着いただけでもよしとしよう。
クチャ大寺を出て大通りを東へ進み、「団結新橋」という橋を渡り、 たくさんの露店が店を出している広場を過ぎ、右手に亀茲バスターミナルを眺めてしばらくして左に曲がったところに亀茲古城の跡がある。 ガイドブックによると石碑が立っているようなのだが、周辺をしばらく探してようやく見つけた。ただ石碑には何も刻まれておらず、 ここが本当に亀茲古城跡かどうか定かではない。周辺は畑になっていたり、ところどころ大きな穴が空いており、 畑にする予定なのかあるいは何か亀茲古城に関連した発掘をしている途中なのかと思っていたら、あるひとつの穴を囲んだ柵に「1947ー2014」と書いてるのを見つけた。 しまった!ここは墓地かもしれない! こんなところをウイグル族でない人間がウロウロしていたら叱られるに違いない。ほうほうの体でこの場所を後にした。
亀茲古城跡(と思われる場所)からクチャ市街に戻ってきた。時刻は北京時間の17時。 トルファンへの列車は21時半出発なのでまだだいぶ時間がある。一昨日夕食を食べた食堂にまた行ってみた。 老板のおじさんが「またあの日本人が来たか!」と、多分そういう感じのことを言って出迎えてくれた。 事情を話して列車の時間までここにいてもいいかと尋ねたら快く承知してくれた。スマホの充電までさせてくれた。 シシカバブとラグメンを食べ、19時過ぎにおじさんに挨拶をして食堂を出た。これでクチャともお別れだ。 春節のため市場など閑散している場所もあったが、ウルムチとは異なりウイグル族の情緒ある暮らしの様子をたっぷり見ることができる、 風情のある街だった。さようならクチャ。
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