武威を発った列車は16時半に張掖駅に到着。駅を出るとまず感じたのは埃っぽさ。地面も茶色っぽい砂で薄く覆われてざらざらした感じがする。 宿にチェックインを済ませた後、街を散策する。喧騒は武威よりも激しいようだが、古めかしい建物が多いのも印象的だ。 「金の張掖、銀の武威」という言葉があるくらいで、街の規模は武威よりも大きいのだろう、 張掖の方が武威よりも発展が早かったせいで、建物もそろそろ老朽化の傾向が見られるのかもしれない。 しかし街の埃っぽさと相まって、よりシルクロードの雰囲気が感じられてけっこうなことだ。
街のランドマーク「鎮遠楼」へ。ここは張掖市街の中心地に当たる。
東には張掖駅、バスターミナル、北西にはマルコ・ポーロの像で有名な欧式街、南にはフビライ・ハンが生まれた大佛寺、
南西には釘を一切使用せずに建てられた木造の塔、「万寿寺木塔」がある。
夕食は鎮遠楼から少し西にある「孫記炒炮」へ。
ガイドブック「地球の歩き方」にも掲載されている名店だ。炒炮とはうどんくらいの面を短く切り、煮汁といっしょに炒めたもの。
広々とした店内はほとんど満席。カウンターで注文をし、食券を受け取る。
カウンターの奥の厨房では大勢の調理人が忙しなく動いているのが見える。
数人の女店員がどでかい鍋を囲んで小麦粉の塊を指先で器用に伸ばして千切り鍋の中に放つ。
傍らでは屈強な男性たちが強い火力の中フライパンを汗をかきかき振り回す。オーダーをとったおばさんが彼らに大声で注文を伝えている。
こんな活気の中で作られた料理がまずいはずがあろうか。注文した炒炮を受け取り、どうにか空いていた席に着く。
熱い麺とスープを一心不乱にかきこむ。トッピングされている煮豚が憎い。脂が程よくのっていてそれがスープに溶け出して実に良い味わいとなる。うまい。
げっぷをしながら外へ出ると辺りはすでに夕闇が訪れていた。
砂埃にまみれた街の印象が、うって変わって砂漠のオアシスのような落ち着いた雰囲気に変わったような気がした。
街を歩く老若男女も活き活きとした様子。鎮遠楼へ戻ると周囲に昼間はなかった露店がたくさん立ち並んでいた。
雑貨、軽食、怪しげな偽物ブランド品、ウイグル人の商う香ばしく焼けた羊肉やナン、ドライフルーツ。シルクロードの夜だ。
翌早朝に張掖バスターミナルへ移動。張掖市街から65キロ、粛南裕固族自治県にある馬蹄寺景区へ。
目的は有名な馬蹄寺石窟である。7時20分発車予定の中型バスの乗客はほとんどが観光客だ。
どこで買ったのか、熱々の麺や肉まんなど、みな美味しそうな朝食を持参している。
私は急な腹痛を避けるためにバスに乗る直前は食事をとらないようにしているので、周りの人がうまそうなものを食べているのを見るとこたえる。
2時間半ほどでバスは馬蹄寺景区に到着。入口は立派に整備されている。
馬蹄寺石窟の見学だけでなく、祁連山脈のふもとである周辺一帯をハイキングなどできるような場所でもあるようだ。
入場券売場の窓口でもたついていると、同じバスに乗っていた男性が声をかけてきて、購入を手伝ってくれた。
眼鏡をかけた真面目そうな青年で、恋人らしき女性と訪れたようだ。以降この日は2人と行動をともにすることとなった。
馬蹄寺の名の由来は天馬がこの地に降りて水を飲んだという伝説から来ているそうだ。
天馬のものとされる足跡が残っている窟もあるとか。入場券売り場からさらにバスに乗って寺院のある場所で降りる。
チべット仏教の色濃い寺院のようで、高僧の墓である白い霊塔やカラフルな五色の旗であるタルチョなどが見える。
寺院の背に岩山があり、この上から眺める祁連山脈は最高だ。山脈の反対側には地平線が伸びており、これもまた爽快な景色だ。
寺院の外ではバスがまだ待っており、土産物屋やレストランが集まる場所に着いて終点となった。石窟はさらにその先だ。
この馬蹄寺石窟は北涼(西暦400年代)の時代に創建が始まった古い石窟だ。国慶節の連休でもあり、すでに大勢の観光客が石窟を見学している。
石窟は大きな岩壁を掘って造られたものが何部屋も存在するが、見学のできる窟は決められており、すべての窟を見学できるわけではない。
設置されている通路は細く狭いため入場規制がかかっており、岩山の前は長い行列ができている。前の人に続いて順に見学をしていく。
石窟の見学を終えて広大な景区内をしばらく散策する。
雪化粧された祁連山脈を眺めながら歩くのは気持ちがよい。牛が放牧されていたり、乗馬体験のできるエリアがあったり退屈しない。
整備された歩道の脇には水路があり、祁連山脈の雪解け水だろうか、透き通った水が勢いよく流れている。
青年とその恋人を昼食に誘ったが、観光地の食事は高いので食べないという意味のことを言われ、断られてしまった。
実に慎ましいカップルではないか。しかも腹が減っていると思われたか、逆にリンゴとバナナをいただいてしまった。申し訳ない。
15時過ぎに張掖市内に戻り、青年たちが万寿寺木塔に行くというので着いていくことにした。
隋の時代に建てられたのが最初で、現在の塔は1925年に再建されたものだそうだ。この9層建ての塔は実際に登って市街の様子を眺めることができる。
入場券売り場でふたりが係員に何か見せているので、聞いてみると学割価格で入場券を買うために学生証を見せていたそうだ。
学生証を見せてもらうと、なんと彼らは蘭州大学の学生だった!しかも医学部ではないか!蘭州大学は西北地区でも有数の名門大学だそうで、
彼らは言わば未来のエリート候補だったのだ。
田舎から出てきた都会の汚れを知らない純朴で薄給なカップルかと思っていた自分に見る目がなかった。大変失礼しました。
青年と連絡先を交換して馬蹄寺で撮った写真を後日送ることを約束し、握手をしてふたりと別れた。宿に戻って一休みし、夕食に出かけた。
街の南側にイスラム教徒である回民族の住むエリアがある。
タマネギの形をした緑色の屋根をしたモスクが印象的だ。通りには屋台が出ており、牛や羊の串焼きをふるまっている。
炭火台の前で串を焼く主人の周りを「コ」の字型に座席が取り囲んでいる。日本の屋台やおでん屋のような形式に似ていて面白い。
食堂に入り、壁にかかっているメニューの写真を指差して注文をした。
羊肉の炒めものだ。後から考えると、これは「羊羔肉(ヤンガオロウ)」という料理ではなかったかと思う。
店主にお前はどこから来たのかと聞かれたので、日本人だと答えると、店主や隣の席にいた若者たちはひどく驚いていた。
店主は日本人がとても珍しいようで、なんでこんな所に来たのかであるとか、日本では給料はいくらかなどいろいろなことを聞かれた。
回民街からの帰り、宿の近くでも屋台の串焼きがあったので、立ち寄ってお酒は飲めるかどうか聞いてみた。
先ほどの回民街はイスラムの雰囲気が楽しめる一方、戒律のために飲酒ができなかったのだ。飲酒OKとの返事だったので、近くの売店で白酒を購入し、席についた。
串を焼くご主人の横でおかみさんが羊肉のブロックを刃物で削いで仕込みをしており豪快だ。
張掖では羊や炒炮の他にも美味しいものはあるか聞いてみると、「臊麺」を教えてくれた。
西安で「臊子麺」という麺を食べたことがあるが、同じものかと聞くと違うものだそうだ。朝食に食べる麺で、すぐ近くの店でも食べられるとのこと。
翌朝、宿をチェックアウトして早速「臊麺」を食べられると聞いたお店へ。
大きな寸胴になみなみとしたスープが湯気を立てている。
厨房のカウンターに麺だけ入ったお椀がいくつも置いてあり、客が自分でお椀を取ってスープ係にスープをかけてもらう仕組みのようだ。
スープはドロリとしていてあんかけ麺のような感じだ。
味の濃そうな色合いのわりにスープはあっさりとしていて、確かに朝食べるのにぴったりの味わいだ。
食後、市街南部にある大佛寺へ。正式には「宏仁寺」と呼ぶそうだ。大佛寺と呼ばれるのは体長34.5メートルの涅槃大仏があるからだ。
この大佛寺に限らず、中国では大仏がある寺院を大佛寺と呼んでいることが多いようだ。寺院の周りは広場になっており、市民の憩いの場所ともなっている。
観光客の姿も多く見られる。大佛寺は創建1098年。西夏王国の時代だ。1966年には涅槃大仏の腹部内から石碑や経典などが発見された。
敷地内には博物館もあり、大佛寺の歴史や仏教がいかにしてシルクロードを伝わって中国に広まったかなどの展示がされている。
大佛寺の参観を終え、高速鉄道用の駅である張掖西駅へ移動。高速鉄道でたった1時間で酒泉へ到着となる。
(酒泉・蘭州編へ続く)
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