西安1日旅行(西安郊外 周至県日帰りの旅)


趙公明財神廟

 西安の西南に位置する周至県は、道教発祥の地のひとつとして知られる「終南山」を背後に抱える県級地区だ。
 市街地は平地にあるが、緑豊かな南の山々で採集される豊富な水資源は、近隣の工場でミネラルウォーターとしてパッキングされ、 西安を始め近隣の都市に出荷されて人々の飲料水として欠かせないものになっている。
 周至県には終南山の他にも道教に所縁のある史跡があり、近隣から観光客を呼び寄せるための開発の波が著しい。今回はこの周至県の道教の史跡四ケ所を日帰りで訪ねた。おそらく日本で出版されているガイドブックには掲載されていないような土地であるが、 むしろこうしたマニアック場所を訪ねて旅行記を執筆するというのが、西安住まいの身として恰好の自己主張の場となってよろしい。ただの自己満足か。

路線バスで周至県へ


路線バスから撮影した西安郊外。
背後に山脈が見える

 周至県に向かう路線バスは午前中に数本あるのみで、1本目の朝8時のバスに間に合うよう、少し早起きをして大雁塔にある停留所へ向かった。停留所から少し離れたところでおじいさんがバスのエンジンに水をかけており、乗ってもいいかと尋ねると「ちゃんと停留所に並んで!」と怒られてしまった。 発車時刻を10分ほど遅れて先ほどのおじいさんがバスに乗り込み、のろのろと発車して停留所で止まった。わたしを含めて乗客は3人。。。
 バスは西安市街のいくつかの停留所で停車し、乗客を少しずつ乗せながらのんびりと走っていく。やがてマンションやビルは少なくなり、対して畑が多くなる。 浄土宗発祥の「香積寺」の近くを通り過ぎ、バスは国道を西に向かって少しだけスピードを上げた。 発車から1時間ほどで戸県に入った。 戸県は平たく柔らかめの食感の麺を出す「戸県軟麺」や、農村の生活や風景を独特のタッチで描いた「新農村画」の画家が多いことで有名である。 国道沿いにはブドウ畑やイチゴ畑が続き、収穫した作物を並べて売っている売る農家の人たちの姿も見える。 左手には背の高い山々がそびえるのが見えるようになった。日々街の喧噪の中で暮らしていると、郊外のこのような風景は実に心身をリラックスさせてくれる。
 戸県の外れには4世紀の仏僧「鳩摩羅什」が教典翻訳を行った場所として名高い「草堂寺」の近くを通り過ぎ、しばらくして周至県に到着。西安市内から2時間ほどの道のりであった。

ところで道教って?


終南山古楼観景区に祀られている道教の神

 史跡の見学に入る前に道教とは何か、簡単に確認してみよう。

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中国三大宗教 (儒教,仏教,道教) の一つ。道家,道学ともいう。 中国古代の神仙思想を母体に,陰陽五行説,道家思想を加え,さらに仏教の影響をも受けて組織化された。後漢末 (2世紀末) , 張陵や張角によって創始された五斗米道や太平道は,呪術的な治病を中心とし,民衆に信仰されたが,六朝時代になると, 仏教との抗争を通じて上記の各種思想をその体系内に組入れて教義を確立し,貴族間にも信仰されるようになった。5世紀, 北魏の寇謙之の新天師道にいたって教団組織が確立され,儒仏二教に対抗して「道教」という術語が成立した。唐代には王室と結んで栄え, やがて全真教に代表される新道教も誕生した。

引用 - ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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 霧深い山に住み霞を食べて生きている仙人を想像すると、道教のイメージがつかみやすい、と言うと強引だろうか。 このイメージに加えて中国各地での民間信仰の言い伝えや新興宗教の教義などがミックスされ、現在に至るのが道教の雰囲気である。多分そうである。 したがって、道教の寺に行くと、三国志の関羽や諸葛亮、五斗米道の張魯がいるし、もっと昔の老子や、逆に10世紀以降の人物なども祀られている。
 周至県の終南山にある「楼観台」には、次のような伝説がある。 春秋戦国時代、楚の国の人「李耳」は周の国で役人を務めていたが、やがて周が傾きつつあるのを知り、職を辞して周を去ることにした。 道中、国境の関所まで来ると「尹喜」という役人に請われ、書物を著すことになった。 これが後に伝わる「道徳経」であり、李耳とは「老子」その人である。老子が道徳経を書いた場所がこの楼観台とされている。
 道教は老子の教えが濃く反映されているとされ、ここ終南山は道教の聖地「道家七十二福地」の第一に数えられている。弘法大師の四国八十八ヶ所のようなものだろうか。

終南山古楼観景区


終南山古楼観景区

 まだ朝食をとっていないので終南山古楼観景区の正面にあるレストランで「臊子面(サオズメン)」を食べる。まだ10時過ぎなので客はだれもいない。 コシのある麺、じゃがいもや人参の小さな角切りが入っている。酸味のあるスープが身体に染み渡る。
 終南山古楼観景区は最近再整備がなされたようで、広大な敷地に石畳か敷かれ、電光掲示板の案内が光り輝いている。 まだ時間が早いせいか観光客の姿は見えない。敷地は広大で、くまなく見て回ると2時間くらいかかるだろう。 ここに祀られているのは道教において崇拝されている様々な人物たちだ。実在したであろう人もいれば、伝説上の人物もいる。 三国志で負傷した関羽の肘の傷を手術したことで有名な「華佗」も祀られているが、わたしの不勉強によりここで初めて存在を知る人物がほとんど。 帰ったら復習が必要である。

延世観は閉鎖されていた


延世観は改修中の様子

 終南山古楼観景区をの前の道から路線バスに乗って次の目的地「延生観」の近くまで行く。 バスを待つ間に白タクの兄ちゃんに「延生観に行くなら乗せていくよ!」と声をかけられるが断る。白タクを使うのは交通手段がない時の最後の手段なのである。 バスから降りた場所は農村の商店街のようなところで、食堂や売店が軒を連ねている。ちょうど昼時なので腹ごしらえをする人で賑わっている。とてもいいロケーションだ。
 わたしは10時ころ遅い朝食をとったので、このまま延生観に向かうことにする。バスを降りた場所から一本道で、1キロほど歩けば到着する。 途中から道の舗装がなくなり、あぜ道を歩く。両脇にはぶどう畑が広がる。のどかでたいへんよろしい。しばらくすると向こうに寺院が見えてきたが、様子がおかしい。 バリケードが張られているようだ。やはりそうだ。大規模な改修でも行うのか立ち入りできないようだ。残念。
来た道を戻りながら、さっき白タクの兄ちゃんに延生観まで乗せて行くと言われたが、乗らないで本当によかったと胸を撫で下ろす。いい加減な兄ちゃんがいたものである。

農村の商店街で昼食をとる


農村で食べた
「烩面片(ホイメンピェン)」

 せっかくなので先ほどの商店街に戻り、昼食とする。おばさんが威勢よく声を上げながら麺を茹でている店に入り「烩面片(ホイメンピェン)」を注文する。
 ホイメンピェンは麺の切り落としを茹でたものと炒めた野菜をスープと一緒にフライパンでいっきにアツアツに仕上げたもの。 スープのダシがよく効いている。また西安の屋台や居酒屋で出すホイメンピェンは少量の野菜でシンプルに仕上げたものだが、 この店のは値段は変わらずながらトマト、ネギ、キクラゲ、白菜、ニンジン、ズッキーニなどがふんだんに使われ、農村の野趣溢れるぜいたくな一品だった。 ごちそうさまでした。

化女泉


これが老子様の魔法によって変化した泉だろうか

 次の目的地は化女泉。老子がここで御者の徐甲の心を試すために杖を地面に突き刺すと吉祥草が美女に姿を変えたという。 杖を引き抜くとそこに泉が湧き出した。これが化女泉になって今に伝えられる。
 化女泉は敷地は広くない。隅々まで見学するのに1時間もかからないだろう。見どころである五重の塔「品泉閣」に入ると各階で茶器の展示をしている。 わたしは陶器の類いが好きなのでじっくりと見入る。 壁には陝西省で取れるお茶の紹介という意味のことが書いてあるが、化女泉と果たしてどんな関係があるのかよくわからない。
 他の建物は、女性にまつわる史跡のためか、九天聖母や女媧、王昭君、三国志に登場する貂蝉など化女泉とは直接関係がないが、 道教で崇拝されている女性たちが祀られている。


趙公明財神廟


趙公明財神廟

趙公明財神廟の関帝廟に祀られている関羽

趙公明の墓。伝説上の人物のはずだが

 最後の目的地「趙公明財神廟」へ。昼食を取った村のバス停まで戻らずに直接徒歩で向かったのが失敗。思った以上に距離があり、ずいぶんくたびれた。
 趙公明財神廟は始めに訪れた「終南山古楼観景区」と並び周至県の二大観光スポットである。このふたつをじっくり見て周るだけでも半日近くつぶれるだろう。 趙公明は道教の四大元帥のひとりとして知られる。現在は商売やお金の神様、財神として知られるが、時代によってその役割は異なり、疫病を司る神であったり、 明代のSF小説「封神演義」では崑崙山に住む仙人として活躍する。
 敷地内には趙公明と同じく商売の神様として知られる関羽を祀った関帝廟もある。関羽の両脇を守るは養子関平と腹心の周倉だ。 三国志を好くものにとってこの並びにはグッとくるものがある。
 本尊はかなりでかい。大きいという表現よりも「でかい」といった方が適切だろう。こんなにも大きくする必然性があるのだろうか、という印象を覚えてしまう。 そもそも本尊に上がるのに階段をずいぶん上る必要がある。本尊にはお土産を売るスペースが広く締められていて、売り子の女性たちが商品を勧めている。 さすが商売の神様が祀られているだけあり、実際の商売にも余念がない。
 敷地の奥には趙公明の墓がある。周囲に人気はないが、ゴミや落ち葉などなく、しっかり掃き清められている様子で気持ちがよい。 墓前で手を合わせ、本日はお邪魔をいたしました、苦労せずお金が貯まりますように、としっかりお願いをして財神廟を後にした。

高速バスで西安市内へ戻る

 時刻は16時半。財神廟の前にあるバス停で帰りの路線バスを待つ(西安への戻りのバスは午後から夕方まで運行している)。 すると路線バスではなく、西安行きの長距離バスがやってきてわたしの前に停車したので乗り込む。 路線バスよりも少し割高だったが、その代わりどこにも停車することなく、さらには高速道路を使ってくれたので、行きよりも早く帰ることができた。
 今回、訪れた周至県の史跡はどれも市街地を外れた郊外の農村地帯に位置し、のんびりとくつろいだ気分で散策を楽しんだ。 一方で史跡自体はよく整備され、多くの観光客を受け入れるための設備が整えられていたものの、建物や像もみな新しく造られたものが多く、 歴史を感じさせる建造物や遺跡からの出土品といったものは見当たらなかった。歴史マニアには物足りなさが残るかもしれない。 むしろ肩肘張らずに家族や友人たちと散策を楽しむ方がよい楽しみ方ができる場所であるだろう。
(終わり)


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