シルクロード旅行 韓城編 2016/12/17-18


党家村の風景

 陝西省韓城市は陝西省の東端に位置し、黄河を隔てて山西省との境にある。 韓城は史書「史記」を著した司馬遷の出身地で、その墓所「司馬遷墓」には中国各地から観光客が訪れる。 他にも村独自の経済発展を成し遂げその生活様式を今に伝え続ける「党家村」、 黄河流域に伝わる「禹」信仰など、興味深い史跡が多くある。今回はこの韓城の地を一泊二日の日程で訪ねた。美味しいものもありましたよ。


2016/12/17 一日目

 

列車で韓城へ


韓城駅。田舎の駅舎といった感じ

 西安から韓城へは列車の種類にもよるが、だいたい3、4時間くらい。朝に発てばお昼前には韓城に到着して行動開始できる。
 実は韓城市は西安の西の都市「渭南市」に属する県級都市の扱いらしい。 市と付けられているのに紛らわしい。いずれにせよ街の規模はそれほど大きくないということだ。 そのことを表すように駅舎は小さい。そう広くない駅前広場で司馬遷墓や党家村、黄河流域の風景区に連れて行く白タクの運ちゃんたちの声が威勢良く響いている。
 到着は午前11時半。早速腹ごしらえだ!駅を出てしばらく歩き、見慣れぬ言葉の書かれた看板を発見。 「糊卜(フーボー)」とある。糊卜とは何か? 西安では見聞きしないメニューだ。早速店に入ってフーボーをコール。 「普通」と「羊肉」があるらしい。「羊肉」のが当然少し高い。「羊肉」を頼んで着席する。 しばらくして運ばれてきたものは一見普通のスープ麺のようであるが、どうも麺に特色があるようだ。 ちょっとボソッとしている。小麦の風味が香る心地よい弾力もなければ、コシもない。正直味はイマイチである。 スープはよく煮込まれて羊肉の脂が溶け出していてよい味わいなのだが。 会計の際に厨房を見ると店のおじさんが、いわゆる「餅(ビン、西北地方の主食のひとつ)」と呼ばれる固いパンを細く刻んでいた。麺の正体はこれらしい。 なるほど固パンを麺の代わりに用いていたのだ。なぜ小麦を直接麺にしないか判然としないが、昔の代用食のようなものが現在に伝わっているのかもしれない。

司馬遷墓


司馬遷墓碑の石碑

司馬遷墓。頂上から周囲を望む

 食後、駅の近くに予約していた宿にチェックインし、宿の親切な老板老夫婦に司馬遷墓や黄河への行き方を尋ねてから散策に出発。 路線バスを乗り継いで、運転手さんに「この向こうが司馬遷墓だよ」という意味のことを言われてバスを降ろされた。 「司馬遷墓」行きのバスに乗ったのに、司馬遷墓でない場所で降ろされてしまった。そこは大きな公園であった。 まだ建設中の場所が多く、サラ地をショベルカーが行く音が響いている。 園内に案内板は少なく、道に迷って掃除のおばさんに聞いたりしてやっと司馬遷墓に通じる大通りに出た。 どうもこの公園は司馬遷墓にあやかって建設されている公園のようだ。
司馬遷墓の周囲も整備が行き届いており、司馬遷の大きな石像が訪れる人々を待ち構えている。 先ほどの建設中の公園といい、観光事業に力を入れている様子がわかる。 石畳の道を10分ほど歩いてようやく司馬遷墓入口に到着。 ここで入場券を石畳の道の始まる場所にあるチケット売場で購入しなければならないことが判明し、度肝を抜かれた。
これから往復20分かけてチケットを買いに戻るのか。 どうしようかと途方に暮れていたら入口にある詰所からモギリの青年があくびをしながら出てきたので、 チケットはここで買えますかと聞くと、「買えるよ」ということでホッと胸を撫でおろした。この青年からチケットを購入し、 入場しようとしたら青年に「もしかしてあなた外国人?」と聞かれてしまった。
   司馬遷墓はそれ全体が小高い丘になっており、訪れた人は勾配を登っていくことになる。 石碑や墓石の他に、司馬遷に関する小さな展示館や道教の廟、また史記の名文誉れ高い箇所を書いた石碑群がある。 石碑の中は日本にゆかりのあった「郭沫若」の遺したものもある。敷地内は現代風に整備された周囲の景観とは対照的に古風で落ち着いた印象を受ける。 司馬遷は紀元前の人なのでそれも当然である。破壊と建設を繰り返して膨張し続ける近年の中国を鑑みると、紀元前の、 皇帝でもない人物のお墓が今に残っていることに得も言えぬ感慨を覚える。何せキリストよりも古いのだ。 丘の頂上からは周囲の景色が一望できる。近くを流れる川は黄河の支流で、近くのコンビナートの巨大な煙突から煙があがっている。

 

文廟

 司馬遷墓を後にして、もと来た道をバスで戻る。宿と司馬遷墓の中間地点ほどに文廟があるというので言ってみた。 文廟とは孔子を祀った廟である。中国各地には大小様々な文廟が数多くある。 文廟のある付近は再開発が進んでいるようで、道や壁がすべて石造りで出来ている。昔の風情を再現して観光客を呼び込もうという算段だろう。 先ほどの司馬遷墓といい、韓城政府の力のいれようが伝わってくる。 文廟には「国家4級旅遊景区」に指定されている韓城市博物館が併設されていてこちらも楽しみにしていたのだが、休館というのが痛恨であった。 運が悪い。文廟で孔子様に手を合わせてから周囲をしばらく散策することにした。

石造りの街並みを散策


石造りの街並み

 陽がだいぶ傾きつつある。石造りの街並みには地元の人々が憩う集落、完全に観光客向けの、韓城とは何の脈絡もないオシャレな雑貨店など様々な界隈がある。 レストランの店先に従業員が整列して開店前の「朝礼」が行われている。 小規模な食堂が立ち並んでいる通りでは夜店の準備の最中だ。こちらで食事をしていきたがったが、開始にはもう少し時間がかかるようだった。



羊肉饸饹がうまい


糊卜。麺(固パンを細切りにした物)が溢れている

羊肉饸饹(ハーラー)。
日本そばとはちょっと味も食感も異なる

 バスに乗って宿に戻る途中、賑やかそうな大通りに差し掛かったのでそこで降りることにした。 この辺りは新しい商業ビルが建ち並び、家族連れや若者たちがショッピングを楽しんでいる。 ケンタッキーもある(その街にケンタッキーがあるかないかはその街が発展しているかどうかのひとつの尺度になる)。 しばらく歩くとフードコートを見つけたので、そこで食事をすることにした。 先ほどの石造りの街並みでも見かけたが、韓城は「糊卜」の他に「羊肉饸饹(ハーラー)」と「馄饨(ワンタン)」が名物のようだ。 饸饹とは何か? ??も麺の一種である。 麺と少し違うのは、麺にする前の小麦粉の塊を伸ばして麺状にするのではなく、 特製の器具に塊を設置し蓋をして押し込むと反対側に空いた穴から麺状になって出てくるものである。 そう、ところてん方式である。??に用いる麺には黒い「荞麦(チャオマイ)」と呼ばれる、日本そばに近しい品種を原料としているものが多い。 実際見た目も日本そばのようだが、香りや食感は少し違う。 せっかくなのでその「羊肉??」を味わってみたところ、これが大当たりだった。 スープは昼間食べた「糊卜」に似ており、麺は西安で食べる饸饹よりも細い。モチモチした食感で鼻に抜ける時の香りもよい。 スープが麺によく絡んであとを引くうまさだ。麺好きのわたしには病みつきになりそうな味わいだった。韓城に羊肉饸饹あり!

2016/12/18 二日目

黄河流域へ


黄河。川の向こうは山西省だ

黄河の風景

 翌朝、宿をチェックアウトして路線バスに乗って30分ほど、「竜門」のバスターミナルまで移動。 ここからタクシーを拾ったのだが、なぜか運ちゃんがよくわかっておらず、わたしの行きたい「黄河竜門風景区」でない場所に連れていかれてしまった。 ここは険しい岩山のふもとにあり、「風景区」の看板は出ているのだが、誰もおらず荒れ果てている。 どうしてこんなところに来てしまったのか途方に暮れたが黄河があることは間違いないので、まあいいかと思って黄河を見学することにした。 このように中国を旅したり、ましてや生活などする際には、あきらめが肝心である。なんでも完璧主義で事を進めようとすると決してうまくいかない。 これは決して消極的に導き出された結論ではない。何ごとも快く受け入れる「寛容」の精神なのである。 運ちゃんは「向こうの道を降りれば黄河が見れるよ」などと見ればわかるようなことを言ってひとり帰ってしまった。 わたしはどう帰ったらいいのか。しかしこれもあきらめが肝心である。なんとかなるさの精神である。
 ひとり残されて黄河を見学することになったわけだが、ここは恐ろしく寒い!強風が頬を切り裂くような寒気を打ち付ける。 韓城市街とはえらい温度差だ。柵の向こうに黄河が数千年の変わらぬ流れをたたえていたが、一刻も早く退散したい思いである。 カメラを握る手を出すことさえつらいのである。 結局10分もおらずこの場を立ち去った。
 もと来た道を肩をすぼめて歩いていたら中年の男女が何もない場所で立っているのが見えたのでピンときた。 彼らはバスを待っているのである。 街なかを走る路線バスでない、街と街をつなぐ中長距離バスはバス停がない場合が多く、乗りたい人はタクシーを停めるように路上でバスが通りかかるのを待つのである。 わたしは何食わぬ顔で中年の男女のそばに立ち、10分ほど待つとやはりバスが到着したではないか。 得意げにバスに乗り込んで、車掌のおばさんに「党家村」の前で降ろしてもらうようにお願いした。次の目的地の党家村は韓城に戻る途中にあるのだ。

党家村


党家村

 中国では各地で昔の古鎮の街並みの雰囲気を再現しようとした、ちょっとしたテーマパークを作って観光客を呼び込むのが流行している。 党家村も古鎮の雰囲気を味わえる場所として有名だが、他のテーマパーク然としたものと一線を画するのは、党家村は本当に昔のままなのである。 もちろん電気をひいたり、観光客用に公衆トイレを設置したりと改修されている部分もあるが、基本的には石造りの家屋や道がそのままの形で残されている。 観光客は家屋に入って見学することも可能だ。そこで今も生活する住人の方々から昔から伝わる家具や伝統作法などについて説明を受けることができる。
 党家村の歴史は元代から今に続くという。明代から投資に目をつけ、村民共同で投資活動をし、財をなしていった。 学問を修めて政府の要職に就いたものもいる。党家村そのものを観光化して収入に結びつけようとした試みもかなり早い時期からだったようだ。
 さて、ちょうどお昼時なので腹ごしらえを。家屋をレストランに改修したお宅で「韓城馄饨」をチョイス。 出てきたのは日本で目にするよりもずっと小ぶりで可愛らしいワンタンで、ひとつひとつ丁寧に作られている感じがする。 それが熱くてよくダシのきいたスープにたっぷりと入っている。観光地にも関わらず値段もお手ごろで味もよい。この点でも党家村は他の観光地と一線を画するようだ。

大禹廟


大禹廟

 党家村を後にして市街の北東に大禹廟に立ち寄る。禹は中国の伝説の君主のひとりで夏王朝を開いたとされる。 紀元前3000年から2000年くらいの時代であるが、近年の研究ではこの夏王朝が実在したということが明らかにされつつあるのだという。 禹は黄河の氾濫を防ぐ治水工事を指導し、今日では黄河の守り神として黄河流域では禹を祀った寺院が点在する。 韓城の大禹廟の歴史は古く、創建は1301年、元代である。その後明代に改修が施され現在にいたる。 正殿に施された精巧な装飾や神像、壁画などは一見の価値がある。




夕方の列車で西安へ

 一泊二日の日程で陝西省東端の街韓城を訪ねた。 日本人にとっては知名度の高いとは言えない街でも、立派な史跡や美味しいものがあり、スピード感をもって発展しているのを目の当たりにできたことは貴重な体験だ。 昨日食べた羊肉饸饹を駅前でもう一度食べてから韓城に別れを告げた。
 有意義な旅であった一方で、トラブルもあった。 これも旅のよい思い出と割り切ることもできるが、限られた時間を有効に、より有意義に過ごすには無用なトラブルは避け、安全、 安心を提供してくれるサービスを利用した方がよい。「西安中信旅行社」であれば(当たり前だが)目的地を間違うこともないし、 ガイドや運転手の知っているおすすめの美味しいレストランに案内してもらうこともできる。何より快適な旅になることは間違いない。 (終わり)


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