14時過ぎに酒泉南駅に到着。これまで訪れた街では酒泉が最も規模が小さいが、中国屈指の観光名所である莫高窟のある敦煌を管轄しているのはこの酒泉市である。
世界中から観光客が訪れるから外貨収入も周辺都市に比べれば多いだろう。経済は潤っているかもしれない。
郊外には宇宙ロケット発射基地があり、市の最北端にはモンゴル国との国境線もある。
街の歴史も古い。宿にチェックインした後、早速この街の名の由来となった場所へ行ってみることにした。
前漢の武帝は、匈奴軍を破った将軍霍去病(かくきょへい)の功績を労うため一本の酒を贈った。
霍去病は部下の兵士たちに酒を分け与えるため、泉にその酒を注いだところ、泉の水が美酒に変わり、際限なく湧き続けたという。
酒飲みなら興奮のあまり卒倒しそうなエピソードがこの街の名の由来である。
西漢酒泉勝跡、別名「泉湖公園」。街の中心から東へ5キロほどの場所にこの公園がある。
広々と整備された公園は市民の憩いの場所となっている。
家族連れが散歩に訪れ子ども達があちこちを走りまわり、高齢者が遊具を使ってゆっくりと体を動かしている。
公園の奥には大きな池があり、その手前にシルクロードの風景を現した石像群が建てられている。
中心で雄々しくポーズをとっているのがおそらく将軍霍去病だろう。公園のほぼ中心に小さな四角いため池がある。
ここがきっと酒がこんこんと湧き続けたという泉なのであろう。しばらく眺めてみたが、現在は酒は湧いていないようだ。当たり前か。
霍去病は武帝の時代に衛青、李広とともにシルクロード開拓の功労者として、また24歳の若さで病没するというその悲劇性から、
この時代のヒーローとして人気があるようだ。
陝西省西安市から北西40キロ、興平市にある茂陵博物館の敷地内に霍去病の墓がある。
西漢酒泉勝跡を出て、街を散策しながら来た道を戻る。街の中心には鼓楼がある。
周囲はかなり近代的な商業施設が建ち並んでいる。かなり最近にオープンしたと思われる新しい建物ばかりで、スーパーには輸入食材も置かれ品ぞろえも豊富だ。
市民には好評だろう。住みやすさは酒泉に軍配が上がるかもしれない。
鼓楼の近くに「漢唐美食街」という大小さまざまなホテルやレストラン、ショップが建ち並ぶ歩行者天国があり、夕食はここで食べることにした。
1軒の小さな店で羊の串焼きと生トマトのスライス、そしてビールをオーダー。生トマトのスライスに添えられていたのは砂糖であった。
日本ではトマトにはたいてい塩をつけて食べると思うが、砂糖でもそれほど違和感はなかった。悪くない。香辛料たっぷりの羊肉の串焼きとも相性がいい。
他に何を食べようかとメニューを見ていると、ふと気になる一品が。「羊脳」とある。これは、、、お店の人に聞いてみるとやはりそうだ。
店のお羊の脳みそであった。店のおじさんは羊脳について事細かに熱心に説明をしてくれた(半分も聞き取ることはできなかったが)。
お店の自慢のメニューなのかもしれない。トマトに砂糖をつけて食べた時のように、おそるおそる注文をする。おじさんはとても嬉しそうだ。
日本人も脳みそを食うんだな!という意味のことを言っている。いや食べません。しばらくして羊の頭蓋骨らしきものがやってきた。
中央にはなるほど脳みそであろうものが鎮座している。おお、こんがり焼けていますね。
唐辛子の粉が振り掛けられているそれをスプーンですくって口に入れると濃厚な味わいが広がる。
臭みはない。鱈の白子やあん肝を想像していただくとよろしい。これはイケる。酒飲みにはオススメだ。
食べ終えてほろ酔いで街をぶらぶらする。この季節、日中はTシャツ1枚でも大丈夫だが、日が暮れてからは長袖を羽織った方がいいだろう。
シルクロードの昼夜の寒暖差は激しいのだ。しばらく歩いてシメの食事をしようと思い、「羊肉粉湯」と書かれた食堂へ。
羊でとったスープに野菜やでんぷんでできた麺が入っている。
これを箸ですくい、「餅(ビン)」という固いパンの中に入れてハンバーガーのようにしてかじりながらスープを飲むという食べ方をする。
西安から西へ西へとやってきた旅も終盤。これから東へとって返し、甘粛省の省都蘭州へ向かう。
酒泉からは約7時間で蘭州に到着する。省都なだけあり、喧騒の激しさは今回の旅で一番だ。
そのうえ道路のそこかしこで地下鉄の建設工事をしており、交通渋滞に拍車をかけている。
蘭州に到着したのはすでに陽も暮れた後。明日は炳霊寺石窟を訪ねる予定なので、早めに休むことにした。
翌朝、出かける支度をしていると自室のドアを叩く音がする。開けると眼鏡をかけた青年が立っている。
張掖の馬蹄寺で出会った青年とは違い、少しアヤシイ感じがする。迎えに来たという。
聞くと彼は今日炳霊寺石窟に連れて行ってくれる運転手の青年だった。少し待ってもらうように伝え、支度を終えて外に出て待機している車に乗り込んだ。
助手席にはガイドをしてくれる丁さんが座っていた。恰幅のよい中年の男性で、日本語ガイド歴20年以上の大ベテランだ。
シルクロードの名案内人に他ならない。最近は座り仕事が多く、少々腰を痛めているらしい。
朝食はまだでしょう、一緒に牛肉麺を食べに行きましょう。丁さんはそう言って、車は蘭州市外の北西部へ。
しばらくすると大河が見えてきた。黄河である。黄河にかかる橋を渡る少し手前で車は停車し、女性がひとり乗り込んできた。
丁さんのお姉さんだった。お姉さんは蘭州人であるにもかかわらず、まだ炳霊寺に行ったことがなかったのだそうで、よい機会なので同行しようというわけだ。
「公私混同ですみません」と丁さん。公私混同なんていう日本語を知っているなんて、さすがベテラン日本語ガイドである。
メンバーが全員揃って車は黄河を渡り、川沿いにある大きなレストランの前で再び停車した。周囲は路上駐車が多い。
丁さんによるとこの辺は牛肉麺のお店が多く、蘭州人は朝からこうして食べに来るのだという。店に入ると眼鏡が一瞬で曇ってしまった。
すごい熱気だ。席についてしばらくして運転手の青年が牛肉麺を運んできてくれた。セルフのお店だったのである。
碗は少し小さめで、朝食にはちょうどよい量だろう。湯気の立ち上り、少し黄色がかった麺をフーフーしながらすする。
うまい!これは西安などの食堂で食べる牛肉麺と一味違う!噛むほどに小麦の味わいが増してくるような気がする。
あっという間に食べ終えてしまった。これは機会があったらまた食べたい。大満足。量がそんなに多くないのも余韻が残ってよい。青年はそんなにたくさん!
というくらいたっぷりのラー油を入れて食べていた。丁さん曰く、蘭州人の男の食べ方だそう。「でも、これはちょっと入れすぎだね」と丁さんは続けた。
腹ごしらえが済み、炳霊寺石窟へ出発。蘭州市街から西へ100キロ、永靖県の小積山に炳霊寺石窟はある。
車以外の手段では、有名な劉家峡ダム付近から船で黄河を上り炳霊寺石窟に向かう方法もあるそうだ。
永靖県の街を過ぎると車は険しい山道に入った。茶色いごつごつとした岩山だらけで、奇景と言ってよい。
山道は急な上り坂になったかと思えば右に左にカーブする。非常に慎重な運転を要する。
車はまだ新しい匂いのするフォードで、青年が金を貯めて買ったのだそうだ。丁さんも青年の運転の腕を信頼している様子だ。
カーステレオからは青年のお気に入りなのか、女性歌手の曲が流れている。声優さんみたいな可愛らしい女性の声をした曲が多い。
もしかしたら青年は日本のアニメなどが好きで、このような形で私と交流を図ろうとしているのかもしれない。
しかしあいにく私は漫画やアニメには不案内なので、このジャンルで青年とは話が合いそうになく、少し申し訳なく思う。
険しい山道を1時間ほど走りようやく炳霊寺石窟の入口に到着した。蘭州市内からはゆうに3時間を超える道のりとなった。
炳霊寺石窟は中国の石窟の中でも最も古く、西秦の時代(385年~431年)から創建が始まっている。
多くは唐の時代のものが多いそうだ。崖の岩肌に彫られた大仏が訪れる人々を圧倒する。
参観中、チベット仏教の法衣を着た僧侶の男性とすれ違った。
丁さんとお姉さんは男性に「タシデレ」と声をかけていた。この石窟の場所からさらに山を上った所にチベット仏教の寺院があるそうだ。
ひと通り参観を終えて、車は山道を戻る。15時近くなりようやく山を抜け永靖県の街に入った。ここで遅い昼食。
回族の食堂で「手抓羊肉」と「羊肉麺」をいただいた。手抓羊肉は骨ごとぶつ切りにした羊肉を茹でたもので、臭みなく調理できる回族ならではの秘伝の味だ。
羊肉麺は平たい麺を細かく切って四角形の形にして茹でられている。羊や野菜でとられたスープが実によい味わいだ。
蘭州市内に着く頃にはすでに陽は暮れていた。宿まで送ってもらい、丁さん、お姉さん、そしてかなりの長距離を運転してくれた青年にお礼を言って別れた。
翌朝、早起きして昨日連れていってもらった牛肉麺の店がひしめくエリアへ。昨日食べた牛肉麺が美味しかったのでまた食べたいと思ったのだ。
まさしく「味を占めた」わけである。まずは(この店だけでは終わらないという意味である)「安泊爾牛肉麺」。
この店はホテルに併設されているレストランのようで、牛肉麺だけでなく他の料理も供されるようだ。
しかし朝の時間帯はやはり牛肉麺しか食べている客しかいない様子。
昨日は丁さんたちにお任せしていたので気づかなかったが、食券を厨房のカウンターの男性に渡すとき、麺の種類を選ぶことができるらしい。
「毛細・一細・二細・三細・韮葉・小寛・大寛・蕎麦稜」などの中から選ぶ。毛細から三細までは丸麺での太さ、韮葉から大寛までは平麺での太さが選べる。
蕎麦稜はそばの実のように断面が三角形になるような特殊な打ち方をした麺だ。
蕎麦稜をチョイスし、カウンターの男性は奥の麺打ち台に麺の種類を告げる。麺打ち台の男性が麺を打ち始める。注文を受けてから麺を打ち始めるというのがいい。
麺を寸胴に放る。ここまでが麺の打ち手の仕事だ。1分ほどで茹で上がる。
始めに食券を受け取ったカウンターの男性が茹で上がった麺を碗に入れ、スープ、ネギ、香菜、ラー油を入れ、客に渡す。客はスープをこぼさぬよう慎重に席に着く。
やはりうまい。昨日の感動がまた蘇った。このまま蘭州に住んでしまおうかしら。スープには牛肉の他に大根が入っている。
昨日の丁さんの説明によると、大根の入っていない牛肉麺は牛肉麺失格なのだそうだ。食べ終わるまで5分とかからなかったろう。
テーブルにはニンニクが置いてあり、ニンニクをかじりながら麺をすすってもよい。早速次の店へ。今度は裏通りにある「金福蓬灰牛肉麺」へ。
小さな食堂タイプの店で、地元住民が通いそうな雰囲気満点だ。公正を期すためこちらの店でも蕎麦稜をチョイス。
やはりうまい。食べ終わるまでには少々時間がかかった。次だ。同じ通りにある「白老七蓬灰牛肉麺」へ向かう。少し歩きにくい。
ため息のようなげっぷがでた。もう36歳。10代や20代の時ほど食えなくなっていることは承知している。でもせっかく来たのであるから食わなければ。
この店でも蕎麦稜。公正を期すことはどうでもよくなっている。だいぶ味がわからなくなっていたが、それでもやはり美味しかった。
完食。日本で昨今流行の魚介豚骨濃厚スープのようなものとは対極にある、毎日食べても飽きない味わいが、この蘭州牛肉拉麺なのだ。
隣のテーブルのおじいさんが卓上にある黒酢を注いでいた。真似してみるとさっぱりしたスープに少し酸味がつき、香ばしくなった。
ごちそうさまでした。(※この日訪れた3店舗はいずれもガイドブック「地球の歩き方・2016~17西安・敦煌・ウルムチ編」に掲載されています)
大きく膨れた腹をさすりながら、市内西部にある甘粛省博物館へ。 シルクロードならではの遺物が多く展示されている当博物館の目玉は武威の雷台から出土した「銅奔馬」である。 この躍動感たるや、中国文化の隆盛を示す貴重な作品のひとつである。銅奔馬は中国国家旅遊局のシンボルマークにもなっている。 また、同じく武威の天梯山石窟など各石窟の彫像が一部展示されている。シルクロード以外では、恐竜やマンモスの化石を展示しているフロアも見ごたえがある。 甘粛省ではかつてマンモスが闊歩していたのだ。子どもたちにはこちらの方が迫力があって好まれるだろう。 また、他の地域の博物館とも共通して、中国共産党がいかにして抗日戦争(日中戦争)、国共内戦を勝ち抜き、中国を統一したかの歴史が展示されているフロアがある。 プロパガンダ色が強いものではあるが、当時使用した武器や道具、書類などが展示されており、こちらも見学する。
博物館の見学後、蘭州駅へ向かい、「K132」に乗車して西安に戻る。これでシルクロードの旅は終了だ。
しかし今回の旅はシルクロードのほんの一部分をなぞったにすぎない。
数年前敦煌を訪れた際、ずいぶんと遠くに来てしまったなという印象であったが、陽関、玉門関の城跡から西の方角を眺め、
ゴビ灘の地平線しか見えなかったとき、まだこの先にも街があるのか、と気が遠くなりそうになったことをよく覚えている。
シルクロードは更に新疆、中央アジアへと続いているのだ。
また、今回の旅ではいろいろな出会いがあった。武威の運転手の宋さん、張掖の蘭州大学のカップル、酒泉の串焼き屋のおじさん、蘭州では丁さんたち。
これも縁と言えば縁だが、考えてみるとスケールの大きな縁だ。日本から気の遠くなるほど離れた場所で生まれた縁なのである。
旅から帰ってしばらくしてから張掖の青年に写真を送った。
以来、時おり連絡を交わしている。また機会があれば、他の人たちにも再会することがあるかもしれない。シルクロードの縁だ。
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